2009年3月8日日曜日

「ワン・タイム」キング・クリムゾン

原題:One Time

■「
THRAK」(「スラック」)収録







One Time / かつては


片方の目は笑い続けていて
もう片方は泣き続けている
一つの人生において 努力と挑戦を続ける中で
片方の手は紐で縛られ
片方の足は歩みが遅れる
一息ごとに 僕らは死に向っている

僕はずっと日が昇るのを待っている
にわか雨が止むのを待っている
ものごとが理解できるのを期待していたんだ
かつては
そして数知れぬ計画の中で立ち続けている
流砂の中で立ち続けている
気前の良さを期待しながらね
かつては

one eye goes laughing,
one eye goes crying
through the trials and trying of one life

one hand is tied,
one step gets behind

in one breath we're dying

i've been waiting for the sun to come up
waiting for the showers to stop

waiting for the penny to drop

one time

and i've been standing in a cloud of plans
standing on the shifting sands

hoping for an open hand
one time



【解説】
1995年、ダブルトリオ編成で再度復活したKing Crimsonのアルバム「Thrak(スラック)」より、エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)の歌う、優しく切ない歌である。歌詞中に出てくる「わたし」が「I」ではなく「i」と、意図的に小文字を使っているところも、自己主張を控えているような哀しみが込められているように思える。


歌詞の文章はすべて、現在型、現在進行形、そして現在完了進行形である。つまりすべて「今」も行っていることなのだ。しかし「one time(かつて)」という表現が挿入され、タイトルにもなっている。過去を示唆する表現だ。これをどう解釈すれば良いか、悩んだ。

そこで「one time」の直前の1行のみを「i've been」につながる現在完了進行形の一部とは取らず、状況を示す現在分詞「〜しながら」と、解してみた。つまり「かつては…していながら」という、元々持っていた希望や期待が、そこに表現されていると考えたのである。

「The penny (has) dropped.」という表現がある。「やっとわかった。うまくいった。」という意味だ。だから2連の前半は、「かつては、うまくいくと思いながら」あるいは「かつてはわかってもらえると思いながら」、それももう考えることもなく、ただ「太陽が昇り」「雨が止む」ことを待ち続けているのが今の自分。

「open hand」は「きっぷの良さ、気前の良さ」という意味があるが、文字通り「手を広げて差し伸べてくれること」をイメージしてもいいと思う。そうした「open hand」を「かつては求めていながら」、今はただただ立ち尽くしているだけ。

その状況が1連で描かれた今の自分。ひと呼吸ごとにただ死に向っているだけの存在。

内容は救いのない現実の人生を歌っているように思えるが、そこに悲しさとともに
何とも言えない優しさが感じられるのは、「わたし」が何をも誰をも責めず、怒りもいら立ちもなく(すでに消えてしまったのだろう)、自分を見つめているからだろうか。

「わたし」はそんな自分が、それでもきっと好きなのだ。そんな感じが伝わってくるのは、やわらかなボーカルのせいかもしれない。悲しい歌なんだけど、なぜか時々口ずさんでしまう曲なのだ。そういう意味では、King Crimsonらしからぬ曲かも。名曲です。

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