2009年3月22日日曜日

「もしも」ピンク・フロイド


原題:IF

■「
Atom Heart Mother」(原子心母)収録









もし僕が白鳥なら、飛び去ってしまうだろう。
もし僕が列車なら、遅れてくるだろう。
そしてもしわたしが善人なら、
今よりもっとたびたび君と話ができるだろう。

もし僕が眠っていたなら、夢を見ることもできるだろう。
もし僕が何かを恐れているのなら 隠れることもできるだろう。
もし僕の気がふれてしまったら
お願いだから僕の頭のことを悪く言わないでおくれ

もし僕が月だったら、冷静でいられたろう。
もし僕が規則なら、それを曲げるだろう。
もし僕が善人なら
友だちとの間の距離を理解できただろう。

もし僕が独りぼっちなら、泣いただろう。
もし僕が君と一緒にいられたら、それで目的は達成だ。
もし僕の気がふれてしまったら、
君はまだ僕をゲームに加えてくれるかい?

もし僕が白鳥なら、飛び去ってしまうだろう。

もし僕が列車なら、遅れてくるだろう。
そしてもしわたしが善人なら、
今よりもっとたびたび君と話ができるだろう。

If I were a swan, I'd be gone.
If I were a train, I'd be late.

And if I were a good man,
I'd talk with you more often than I do.

If I were asleep, I could dream.

If I were afraid, I could hide.
If I go insane,

Please, don't put your wires in my brain.


If I were the moon, I'd be cool.

If I were the rule, I would bend.
If I were a good man,
I'd understand the spaces between friends.

If I were alone, I would cry.
And if I were with you, I'd be home and dry.

And if I go insane,

Will you still let me join in with the game?

If I were a swan, I'd be gone.
If I were a train, I'd be late again.
If I were a good man,
I'd talk with you more often than I do.
【解説】

アルバムタイトルの「Atom Heart Mother(原子心母)」というのは、日本版LPの帯のコピーが「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり」と、初めて“プログレッシヴ・ロック”という言葉が使われたことで有名な、1970年作の大ヒット作。


タイトルは「原子力で稼働するペースメーカーを移植されていた妊婦についての新聞記事から取られた」(「ピンク・フロイド Story & Discograpy」和久井光司、松井巧、管岳彦、岩本晃市朗、池田聡子、ビー・エヌ・エヌ、1999年)という。正確には1960年代に一般的に使われていた「原子力電池」のことだろう。その後1970年以降はリチウム電池に取って代わられているという。

旧LPのA面をすべて使ったアルバム・タイトル曲が有名だが、旧LPのB面の小曲もそれぞれ魅力的。「If」はベースのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)の曲。アコースティックギターを爪弾きながら静かに淡々と歌う曲。

「If I were ..., I would ...」という表現が多く使われるが、これは仮定法でも「実際にはそうではない」という意味合いが含まれている表現。だからその方がよければそうしたい、というよりも、できないけど、もし可能だと仮定したら、というあくまで非現実的な仮定の話。ただし「If I go sane,」だけは、もしこうなってしまったらと、現実の可能性のある仮定。

実際にはできないけれど、「僕」はもっと「君」と話ができること、「君」と一緒にいられることを求めている。第1連で仮定しているのは、「君」のそばから逃げ出したい思いか。だって本当はもっと話がしたいのに、自分が「good man(善人)」ではないと思っているから。

第2連で「もし気がふれして待ったら」と仮定した時に、「Please don't put your wires in my brain」と言うが、「put the wire on (人) 」が「〜を中傷する、そしる」という意味を持つ熟語。そこから(人)の部分が(物=脳)となったから「on」から「in」に前置詞が変わったと見て「僕の頭を悪く言わないで」と訳した。

「僕」は独りぼっちでもないけれど、君と一緒でもない。君のゲームに参加しているような気分で、ちょっと話ができる程度の関係。友だちとの距離感もうまくつかめず、非常に中途半端な、どうしていいかわからない。不安定で孤独で自分に自信がなく
閉じこもった状態。気がふれるかもと思うような追い詰められた感覚が痛々しい。


「home and dry」は「目的を達して、成功して」という意味になるので、「君」と一緒にいられることが一番のこと。でもむしろ自分の気がふれても見捨てないでいてという、マイナス思考でしか彼女への思いは描けず、自分の中で閉じてしまっている。

そこには将来の「The Dark Side Of The Moon(狂気)」や「The Wall(ザ・ウォール)」の萌芽を見ることもできるかもしれない。あるいは脱退せざるをえなかったシド・バレット(Syd Barrett)のことが頭にあったのかもしれない。視線は内側へ、自分の内面へ向って、静かに自分を責めているようでもある。
しかしそこには強い自己批判や自己憐憫の感情は現れていない。逆に周りに責任転嫁しようと牙を剥いているわけでもない。淡々とそんな自信のない不安定な自分を受け入れているところが、繊細で優しさあふれる歌となったのだろう。

ラブソングである。しかしどこか精神的な危うさをはらんでいるところが、普通のラブソングにはない大きな魅力なのだ。

  

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