2009年5月1日金曜日

「9フィートのアンダーグラウンド(分裂)」キャラバン


原題:Ninefeet Underground

In The Land Of Grey And Pink
(グレイとピンクの地)収録







地下9フィート(9フィートのアンダーグラウンド)[分裂]

僕の行ける場所はある
そこで僕は風の歌声を聞く

風が歌うのは僕の知っている幸せの歌
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ

僕の内側の深いところで

僕が歌える歌が一つある
一本の木の上のジグソーパズル
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ


昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?
本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる


そして時々僕はワインのことを考える
自由に溢れ出る歌と笑い声のことを
みんないつもおしゃべりをしているんだ
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ


昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?

本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる

君は空気の中にそれを感じることができるかい?
それがどれほどの意味のあることなのかわからないけど
そう考えればあきらめることもできる
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ

そう、すべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ


Ninefeet UndergroundDisassociation

There's a place where I can go
Where I listen to the wind singing
Songs of happiness I know
And it brings it all back again

Somewhere deep inside of me
There's a song that I can sing
Jigsaw puzzles on a tree
And it brings it all back again

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting here who really want to know

And sometimes I think of wine
Songs and laughter flowing free
People talking all the time
And it brings it all back to me

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting now who really have to know

Can't you feel it in the air?
I wonder what it's meant to be
It's the thought that can despair
And it brings it all back to me
Yes it brings it all back to me

【解説】
「association(交際、付き合い、かかわり、つながり)」に「非…」「不…」「無…」など反対の意味にする接頭辞「dis-」を加えた「disassociation」は、「dissociation」と同じ単語として「分裂、分離、解離」などの意味を持つ。

ここでは「僕」が自分のことを話す。「君(you)」は、最終連でたった一回しか出て来ない。「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」だけだ。ただ、この一文があるから、この「僕」の言葉全体が、独り言のようでいて、実は「君」に向けられているのかもしれない、ということがわかる。そこに「君」が実際にいるかどうかすらわからないけれど。

語られるのは、今「僕」がいる場所ではない、もっと幸せに満ちた場所。風が幸せの歌を歌う場所。今「僕」のいる場所でも、「僕」の奥深くにはその歌が残っている。つまりそこは「僕」の故郷か。それも「ワイン」と「歌と笑い声」、そして「おしゃべりばかりしている人々」のいる、田舎のことなのだろう。

そこではみんな天気のことばかり気にしている。本気で。それは農業を営んでいるからということもあるし、それぐらいしか話題のないのんびりした生活だということでもあるだろう。

「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」と「僕」は「君」に聞く。感じられるかどうかがどれほど意味のあることかわからないけど、あきらめるきっかけにはなるということか。

そして何回も繰り返される「And it brings it all back to me / again).」というフレーズ。「それはすべて何も欠けることないそれ自体を再び私にもたらすのだ。」という文だけれど、同じフレーズがそれぞれに別の何かを「it(それ)」として指し示しているのは不自然な感じがするので、「it」は「状況を漠然と指して使われるもの」と解釈し、「ものごとは再びそのままの姿で(自分へ)戻ってくる」と訳した。あるいは「it」を漠然と「故郷(の思い出)」としてもいいかもしれない。

自分の心の拠り所である故郷を思い出し、その素晴らしさを5連目まで綴り、最後の連で、その素晴らしさを「君」がもし感じてくれないとしたら、「あきらめ」がつくんだ、と言う。そう、「僕」は故郷に思いを馳せつつ、「君」への愛が受け入れられないことへの未練を断ち切ろうとしているんじゃないだろうか。その辛い自分を支えるために、のどかな故郷の思い出を振り返っているのではないか。この思いをできることなら「君」と共有したかった。「君」にも見せて上げたかった。

しかし、おそらくそれはかなわないのだ。ここでも前半の歌詞同様に、「君」の気持ちは描かれない。しかし「僕」の思いは叶わなかったのだろう。ただ美しい故郷の思い出だけは、何も変わらず自分の心に戻ってくるのだ。


ちなみにタイトルの「Ninefeet Underground」は、この曲を作ったのが地下9フィートのところにある部屋だったからだそうな。歌詞の内容とは直接関係ない。

でも例えば、地下9フィートの部屋で一人、ある女性へ勝手に愛を告白し、勝手に叶わぬ恋だと思い詰め、故郷を思う「僕」という、言葉のイメージの連鎖は生まれるかもしれない。

この曲の気持ちよさは、そんな現実に向き合わずにいる「僕」が、桃源郷のように美化した故郷の田園風景を夢見ているところだからなのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿