2009年2月28日土曜日

「バイ・ザ・ライト・オブ・デイ/光の住人」&「リプライズ/闇と光」U.K.



原題:By The Light Of Day, Reprise


■「U.K.」(「憂国の四士」)収録





バイ・ザ・ライト・オブ・デイ

 灰色の空に雷を呼ぶ黒雲
 活動的な夜明けの熱気と激情
 火と水という二つの元素の怒り
 水平線は激情の中に溶けていく

 昼間の光の下では
 昼間の光の下では

 年月を進ませる静かな運命の歯車
 権力と苦悩は恐怖を助長する
 愛の夢を求めれば
 さらにその終わりは早まる
 
 昼間の光の下では
 昼間の光に下では

リプライズ

 罪の報いは現実に行われるんだとは言わないでくれ
 壁にかかれた文字 - どれが点数でどれが取り分だ?
 私たちが 森を通して木々まで見ることができないのも 無理はない
 私たちが作り出した香水ですら、
 そよ風に運ばれてくる 吐き気を隠すことはできない

 昼間の光に下では
 夜の静寂の中では

By The Light Of Day

 Black clouds moving gray sky to thunder
 Kinetic sunrise fever and blood
 Fire and water element anger
 Horizon melting to blood

 By the light of day
 By the light of day

 Silent wheel advancing years
 Power and glory agony fears
 Love's a dream that some pretend
 Accelerates an early end
 
 By the light of day
 By the light of day

 By the light of day
 By the light of day

Reprise

 Don't tell me that the wages of sin are for real
 The writing's on the wall – what's the score what's the deal?
 No wonder we can't see through the wood to the trees
 No perfume we design can ever veil the sickness on the breeze



【解説】
「By The Light Of Day」の1連では、夜明けの情景がうたわれている。夜明けは昼間の「雷」「熱気」「激情」「怒り」をもたらす。「わたし」にとっては、決して明るさと希望に満ちたものではないのだ。音楽も静かなパートとなり、歌い方もけだるい感じ。

年月は間断なく過ぎていき、力と栄光を手に入れたら手に入れたで恐怖が生まれ、愛を手に入れようと夢を描くほど、その愛はすぐに消えてしまう。人生の空しさ、生きることの空しさが描かれる。

「Presto Vivace and Reprise」の「Presto Vivace(テンポを速く、活き活きと)」はインストゥルメンタル部分なので、その後再び「In The Dead Of Night」と同じメロディーに戻るところが「Reprise(繰り返し)」にあたる。

そこに描かれているのは「無力感」か。「In The Dead Of Night」での「わたし」は、享楽にふける人もいる中で、自分の「孤独」を歌っていた。「By The Light Of Day」ではどう生きても空しい「空虚感」、そして「Reprise」では「わたし」から「私たち」へと主体が変わっている。自分個人の状況ではなく、実は現実世界の我々のことを歌っているのだ。

この複雑で猥雑な世界では、我々は知らないうちに罪を負ってしまったり、真実を知らないまま過ごしていたりする。何とかしなければと努力したとしても、結局報われはしない。

ある意味、King Crimsonが最後に歌ったstarless and bible blackな世界観につながった、救いのない現実を歌っている歌なのだ。しかし、それにもかかわらずドラマチックなサウンドは、単なるあきらめではなく、そこに「わたし」の怒りを付け加えているような気がする。どうにもならないとわかっていながら感じてしまう怒り。

U.K.は、King Crimsonの音楽に比べると、素直にカッコイイ音楽に変貌した。後のAsiaほどキャッチーでポップというところまでは行かないが、カッコイイと思えるメロディーや演奏は、U.K.の大きな魅力である。

でありながら、もの凄く高度な演奏を間に入れている。ビル・ブラッフォードのドラムのスネアだけ聴いてみても、どれほど変化をつけているかに驚く。そうしたプログレッシヴ・ロックの要素は、楽曲のみならず歌詞の中にもまだ残っていたといえるかもしれない。

なお歌詞中の「power and agony」という部分であるが、日本語ライナーノートでは「power and glory」となっており、当初それをもとに訳した。しかしジョン・ウェットンのサイト、並びに歌詞検索サイトでも「power and agony」であるとのご丁寧なご指摘をいただき、歌詞並びに訳詞をそちらに統一した。ご指摘ありがとうございます。


2009年2月27日金曜日

「イン・ザ・デッド・オブ・ナイト/闇の住人」U.K.

原題:In The Dead Of Night

■「U.K.」(「憂国の四士」)収録







おまえも 片目を開けたまま眠れる私と 同類の者なのか?

精神がおかしくなりそうな孤独な時間を 
どうしていいのか苦悩しながら
床からのほんの小さな音に 光を求めながら

ドアのノックの音に
今おまえの両手は汗ばみ 心臓はときめきながら  

真夜中の静寂の中で

真夜中の静寂の中で  

金と権力のある人々は からまった結び目を解く
 
彼らの望む 飽き飽きしたスリルや気まぐれに ふけるために
 
中から聞こえる 息をころした泣き声を隠す 雨戸の閉まった窓
 
詮索好きな人たちも 始まったその手の行為に気がつかない
   

真夜中の静寂の中で
 
真夜中の静寂の中で


Are you one of mine who can sleep with one eye open wide?
Agonizing psychotic solitary hours to decide
Reaching for the light at the slightest noise from the floor
Now your hands perspire heart goes leaping at a knock from the door

In the dead of night
In the dead of night

Rich and powerful ascend complicated bends to be free
To indulge in what they will any jaded thrill or fanstasy
Shuttered windows that belie all the stifled cries from within
And prying eyes are blind to proceedings of the kind that begin

In the dead of night
In the dead of night

In the dead of night
In the dead of night


【解説】
King Crimsonのジョン・ウェットン(ベース)、ビル・ブラッフォード(ドラムス)に、エディ・ジョブソン(ヴァイオリン、キーボード)、アラン・ホールズワース(ギター)という、夢のようなメンバーが集まったバンドU.K.のファースト・アルバム「U.K.」の、カッコ良すぎる最初の曲「In The Dead Of Night」である。

実際には次の「In The Light Of Day」「Presto Vivace And Reprise」まで一続きの組曲のようになっている。曲の構成としては「夜」→「昼」→「まとめ」みたいな感じか。今回はその「夜」の部分である。その「夜」を描く部分がサウンド的に激しく、「昼」を描く部分が、ゆったりした雰囲気になっているところが面白い。

まず「in the dead of night」は慣用句で「真夜中に」という意味。ただし時間的に深夜であるということだけでなく「dead」という言葉があるように、「皆が死んだように寝静まった時」という意味合いが込められている。そこで「真夜中の静寂の中で」と訳してみた。これは次の曲の「in the light of day」(昼間の光の中で)と、日本語的にもかたちを合わせたいこともあった。

内容を見ると、1連は「おまえも」と呼びかけている「わたし」がいて、「片目を開けて眠る」くらい病的に孤独にさいなまれている様が描かれる。わずかな物音に人の気配を期待して、孤独から逃れようとしている「わたし」そして「おまえ」、あるいは現代の多くの人々。

2連では、同じ真夜中に「rich and powerful」は享楽にふけっていると語られる。「rich 」も「powerful」も、どちらも形容詞なのだが、「rich and powerful」と言うと「金と権力のある人」という名詞になる。泣き声を抑えて家に閉じこもっているのは、その犠牲者たちなのか。でも真夜中の静寂の中では、そのようなことが始まっても誰も気がつかない。

夜の孤独と享楽。二つを対照的に描いたのが、この「In The Dead Of Night」である。しかし前半に「おまえ」に語りかけるかたちで「わたし」が存在することを考えると、後半は「わたし」が「金と権力のある奴ら」を思いながら、金も権力もなくただ孤独の中で苦しんでいる自分を振り返っていると見ることができよう。

さてでは「昼の光の中」にいる「わたし」はどうなのか。


2009年2月25日水曜日

「ストリップス」アルティ・エ・メスティエリ


原題:STRIPS

「ティルト(tilt)」収録






 今はもう 頭はすでに
 あまりに非常識で 無気力な歌でいっぱいだ  
 それらは これまで芸術家たちによってささやかれた
 
 無益な言葉の数々
   

 不思議な魔術師や神々達の 色あせてしまった物語は
 
語りかける  
 中身のない偽善のために
 あなたを取り囲む詩人達から    
 今となっては
さらにもう  
 誰も あなたを守ることができないと 


 La testa piena ormai
 Di troppe assurdita'
 Canzoni languide
 E cose dette gia'

 Artisti che
 Sussuurrano
 Parole inutili

 Sbiadite storie di
 Pianeti, maghi e dei
 Narrati a chi non puo'
 Difendersi ormai piu'
 Tra poeti che
 Ti cicondano
 Di vuota falsita'


【解説】
イタリア屈指のジャズ・ロックバンドアルティ・エ・メスティエリ(Arti & Mestieri)の1974年のデビューアルバム「tilt」。“tilt”とは「傾き」のこと。傾いてますよね、ジャケット漏斗(じょうご)もタイトルの「tilt」の「t」も。

このアルバムはとにかくドラムスのフリオ・キリコの流れるように叩き続ける壮絶ドラミングに耳が行きがち。リズムやノリをキープしながら、ドラムス自体が歌うように叩かれるため、キーボード、バイオリン、サックスが入って来ても、ジャズ風なインタープレイの応酬というより、緊張感溢れる演奏と非常に叙情的な面が混ざりあった、独特な魅力溢れる音楽が繰り広げられる。

このファースト・アルバムではボーカルパートが非常に少ないのだが、この「STRIPS」でメロトロンをバックにヴァイオリンやサックスを絡めたタイトな演奏が続いた後、アコースティックギターをバックに優しい性質のボーカルが入る。とても美しい瞬間だ。そして以前からこの美しいボーカルがどんな内容を歌っているのか気になっていたのだ。

そこでインターネットのイタリア→英語翻訳に原詞をかけてまず英語にし、意味の通らないところなどを、もう一度伊日辞書で調べるという、恐ろしく手間のかかる作業の末、日本語にしてみたものだ。違っていたらもうごめんなさい。

内容的には、1970年代前半に見られた新しいロック・ミュージックの台頭を背景に、それまでの音楽を否定し、さらにさかのぼった昔の神話や伝説の力も失せ、人々は中身のない芸術に惑わされていると言っているように思われる。

現実批判である。しかし逆に言えば、そこに新しい芸術の力をオレたちが見せてやるぜといった宣言とも取れる。自らをArti & Mestieri(芸術家と職人たち)と名付けるくらいだから。

ボーカルパートは穏やかに歌われる。強烈に現状批判するというより、現実を哀れみ悲しんでいるかのようだ。しかしこれがアルティ・エ・メスティエリの、言葉による最初のメーセージなのである。

バックで流れるメロトロンが美しい。


「すべては風の中に」カンサス

 原題「Dust In The Wind」

■「暗黒への曵航
(Point Of Know Return)収録







 目を閉じる
 ほんの一瞬だけ でもその一瞬は過ぎ去ってしまう
 わたしのすべての夢は
 目の前で好奇心の前を通り過ぎてしまう
 風の中の埃
 すべて風の中の埃だ

 いつもの古い歌
 無限に広がる海のほんのひとしずくの水にすぎない
 わたしたちがしていることはすべて
 見たくないと拒んでも こなごなに大地に崩れ去る
 風の中の埃
 わたしたちは皆風の中の埃なのだ あぁ
 
 さぁ、がんばるのはやめだ
 大地と空以外には 永遠に残るものなどないのだから
 時はいつか過ぎ去ってしまう
 お金をすべてつぎ込んでも 時間をもう一分買い足すことはできない
 風の中の埃
 わたしたちは皆風の中の
 風の中の埃 
 すべては風の中の埃だ
 風の中の

 I close my eyes
 Only for a moment and the moment's gone
 All my dreams
 Pass before my eyes a curiosity
 Dust in the wind
 All they are is dust in the wind
 
 Same old song
 Just a drop of water in an endless sea
 All we do
 Crumbles to the ground, though we refuse to see
 Dust in the wind
 All we are is dust in the wind, oh
 
 Now, don't hang on
 Nothing lasts forever but the Earth and sky
 It slips away

 And all your money won't another minute buy
 Dust in the wind
 All we are is dust in the wind (all we are is dust in the wind)
 Dust in the wind (everything is dust in the wind)
 Everything is dust in the wind
 The wind


【解説】
アメリカのプログレッシヴ・ロックバンド、カンサスの絶頂期1977年に発売され、前作の「永遠なる序曲」(Leftoverture)とともに、カンサスの代表作とされるアルバムである「暗黒への曳航」(Point Of The Know Return)に収録され、シングルヒットもしたカンサスを代表する曲の一つである。。

ものすごい虚無感で押し通される詞である。どんなにがんばっても所詮時は過ぎ去り、何も残らない、何も残せないのだと歌う。夢を持つことも歌を歌うことも結局意味がないじゃないか、それなら風に吹かれて飛んでいる埃と同じじゃないかと。

曲はアコースティック・ギターのアルペジオが美しいスローでアンプラグドな小品といった趣で、間奏にヴァイオリンが入るなど、叙情的な響きを持っている。

だから詞とは裏腹に、実は、虚無感を抱きながらも、冷めているわけでも、悟っているわけでも、投げやりになっているわけでもなく、そんな自分や自分の人生に価値がないなどと思いたくないという、悲しみや虚しさの感情が曲全体にあふれている。それがこの曲の大きな魅力だと言えるだろう。

シンプルな歌詞、覚えやすいメロディー、悲しみの表現、美しく染み入る演奏、そして垣間見える人間らしさ。大ヒットがわかる名曲だ。これを普段はプログレ・ハードな曲を演奏しているバンドが出したという意外性もあっただろう。

ちなみにタイトルの「Point Of The Know Return」とは、「カンザス州トピーカ(Topeka)からやってきた少年たちが、突然自分たちはもう引き返せないんだとわかる、驚くべき一瞬を捉えたものである。」と、「ローリング・ストーン」誌のデイヴィッド・ワイルド氏はアルバムの解説に書いている。Topekaは彼らの出身地だ。

ピンク・フロイドが「狂気」の成功で急激な生活の変化と、大きなプレッシャーと、社会的なイメージと自分自身のイメージの乖離に混乱したのと同じことが、当時の彼らにもあったのかもしれない。この詞はそんな自分たちのことを歌ったのかも。

デイヴィッド・ワイルド氏の解釈も結果的に当たっているのだろうけれど、もともと“point of no return”とは航空用語で「帰還不能点(これ以上は帰還できなくなる飛行限界地点)」を示す言葉だそうだ。そのno(できない)をknow(知っている)に置き換えたオリジナル表現なのだ。「みんなも、ちょっと面白いんじゃないかって思ったのさ、聞くとちょっと気持ちが混乱するだろ。」とはカンサスのマネージャーの言葉(CD付属のブックレットより)。

「Leftoverture」と同じで、遊び心からつけられたタイトルだというわけだ。


2009年2月24日火曜日

「アイランズ」キング・クリムゾン

原題:Islands

■「アイランズ」(Islands)収録







海に取り囲まれた大地、小川、木々
波がわたしの島から砂をさらっていく
夕暮れの景色が色あせていく
野原や空き地は ただ雨を待ち望んでいる
少しずつ少しずつ 愛はわたしの
風雨にさらされた高い壁を 浸食していく
わたしの島へと押し寄せる
海の水を防ぎ 風をあやしてくれた壁を

荒涼とした花崗岩がそそり立ち
そこからカモメたちが旋回し滑空し

わたしの島の上で 悲し気な鳴き声をあげる
夜明けの花嫁のベールは、湿って青白く
太陽の陽の中に溶けていく
愛の織物はつむがれる - 猫たちはうろつき ネズミは走る
手癖の悪い野バラは花輪となり
野バラにいるフクロウたちはわたしの目を憶えている
すみれ色の空よ わたしの島に触れておくれ
わたしに触れておくれ

風の真下で 無限の平和
波を追い返す
島々は天の海の下で 手をつなぐ

暗い港の埠頭は 石でできた指のように
どん欲に わたしの島から手を伸ばす
船乗りの言葉をかき抱くんだ - 言葉は真珠とヘチマとなって
互いに愛し合い 輪になって結びつきながら
わたしの浜辺にまき散らされている
大地、小川、木々は海へと帰る
波がわたしの島から砂をさらっていく
そしてわたしからも


Earth, stream and tree encircled by sea
Waves sweep the sand from my island.
My sunsets fade.
Field and glade wait only for rain
Grain after grain love erodes my
High weathered walls which fend off the tide
Cradle the wind
to my island.

Gaunt granite climbs where gulls wheel and glide
Mournfully glide o'er my island.
My dawn bride's veil, damp and pale,
Dissolves in the sun.
Love's web is spun - cats prowl, mice run
Wreathe snatch-hand briars where owls know my eyes
Violet skies
Touch my island,
Touch me.

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.

Dark harbour quays like fingers of stone
Hungrily reach from my island.
Clutch sailor's words - pearls and gourds
Are strewn on my shore.
Equal in love, bound in circles.
Earth, stream and tree return to the sea
Waves sweep sand from my island,
from me.

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.


【解説】
King Crimsonのデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」から一貫して歌詞を書き続けていたピート・シンフィールド(Peter Sinfield)は、この「アイランズ」を以てその役を降りることになる。まず音楽として聴いた時に、恐ろしく美しい曲である。

直前のインンストゥルメンタル曲「プレリュード:ソング・オブ・ザ・ガルズ(カモメの歌)」が、オーボエとオーケストラによるクラシカルな室内楽的な世界を作り上げ、落ち着いた心穏やかな雰囲気の中、アルバム「アイランズ」のタイトル曲にして最後の曲「アイランズ」がおごそかに始まる。

「アイランズ」というアルバムはメンバーが流動的な時期で、4人のプレーヤーに作詞と音響・映像担当のピート・シンフィールドという基本の布陣に、当時のジャズ界からキース・ティペットグループの5人のプレーヤーがゲスト参加している。この曲でもメル・コリンズ(Mel Collins)のフルートに加え、ゲストのロビン・ミラー(Robin Miller)のオーボエ、マーク・チャリング(Mark Charing)のコルネット(小型のトランペットのような楽器)が、曲の持つ悲しさ、優しさ、美しさを表現していく。

そしてピート・シンフィールド最後の心境を吐露したものかと思われる「アイランズ」の歌詞である。島である「わたし」は「高い壁」を作って海の侵入から身を守ってきた。孤独を求めて。しかしもう海はわたしの島を、そしてわたしを飲み込もうとしている。しかし「壁」を浸食していくのは「愛」である。

わたしは孤独を求めて来ながらも、今愛によって大きな海へと溶け込もうとしている。「すみれ色の空よ、わたしの島に触れておくれ わたしに触れておくれ」と「わたし」は言う。荒涼とした風景の中で、それでも「わたし」は孤独な「島」でい続けることに限界を感じている。そして夜明けの「すみれ色の空」に希望を見いだそうとしている。荒海に浸食されようとも、島々は海の底で手をつないでいることを信じようとしている。人々の「愛」を信じようとしている。だから次の箇所をどう訳すか悩んだ。

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.

ピートの詩は、句読点がついた比較的文章構造がしっかりしている詞である。だから感覚的に流されずに、文章構造を捉えて意味を考えることが大切だ。ただ、ここではwaveとinfinite peaceの関係が問題だ。文章的には希望を残すかたちで以下のように捉えた。

Beneath the wind, infinite peace turned wave,
Islands join hands beneath heaven's sea.

精神的に追い詰められていた背景には、バンド内の亀裂もあった。ピートは言っている。

「ボブ(ロバート・フリップ)と私は曲を作っていく中で合わなくなってしまっていたんだ。彼が私に何かを演奏してくれる。私が“違うな、僕はそれはあまり好きじゃない”と言う。それは理解されなかったし、私は代わりとして彼に何か別のものを提示しなかった。」
(「クリムゾン・キングの宮殿」シド・スミス著、ストレンジ・デイズ、2007年)

何とも言えない切なさが迫ってくる。「愛」を信じて、積極的にではなく、流れに身を任せるように、運命に従うように自分を解き放とうとしながら、不安や希望が入り乱れた感情。これまでの自分への決別ゆえか、ある種、レクイエムのようでもある。

ピート・シンフィールドが描いた“アイランズ”が
インナースリーブとして使用されていた。

King Crimson脱退後、ピートはEL&Pのイタリアツアーに同行した際に、PFMを見いだし、イギリスに招いて「Photos Of Ghosts(幻の映像)」をプロデュースする。すべての英詩は彼が提供した。のちのインタビューで、PFMのどんなところに共鳴したのかと問われて、彼はこう言っている。

「まず彼らが高度なテクニックを持っていたところです。しかし多分それ以上に共鳴を得たのは、彼らの持っていた、深淵でいて、そして温かな地中海的な情感に対してであったと思います。そしてそれは私がキング・クリムゾンに関わった最後のアルバムである『アイランズ』で表現しようとしていた感覚でもあるのです。」
「Arch Angel vol.3」(ディスクユニオン、1996年)

2009年2月23日月曜日

「オンワード」イエス

 原題「Onward」

 ■「Tormato」(「トーマト」)収録




 私がすることすべてに愛がある あなたへの愛が
 私が書くものすべてに 語られているのは
 あながた光だということ
 燃えるように明るく輝いている光

 真っすぐ先へ 夜の闇を照らして
 真っすぐ先へ 夜の闇照らして
 真っすぐ先へ 私の人生の夜の闇を照らし続けて

 私が見るものすべてに愛がある あなたが示してくれる愛が
 あながた語ることすべてに 表現されている
 あなたが道を案内してくれる日の光

 真っすぐ先へ 夜の闇を照らして
 真っすぐ先へ 夜の闇照らして
 真っすぐ先へ 私の人生の夜の闇を照らし続けて

 Contained in everything I do
 There's a love I feel for you
 Proclaimed in everything I write
 You're the light, burning brightly
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 Displayed in all the things I see
 There's a love you show to me
 Portrayed in all the things you say
 You're the day leading the way
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 
【解説】
英国のロックグループYesの「危機」(1972)は、おそらく中学生だった時に始めて買った洋楽グループのLPだった。当時のLPで片面20分近くを使って組曲一曲なんて構成で、聞くものを別世界へ誘ってくれた。

そんなYesが大作主義からコンパクトな曲に方向転換したことで、あまり評価は高くないアルバムに「Tormato」(1978)というのがある。「クジラに愛を(Don't Kill The Whale)」という、およそそれまでのYesには考えられなかった、反捕鯨のメッセージソングが含まれているのも、評価を下げている理由かもしれない(右写真は「クジラに愛を」のシングルレコード)。

音的にも厚みがなくなり、アンサンブルの緊張感も伝わってこないこのアルバムには、当時正直なところかなり失望し、わたしもムキになって「Yesは終わってしまった」みたいに落ち込んだ。

しかしそれまでのYesにこだわらずに、これはこ
れで、ポップでちょっとヒネリのあるアルバムとして聴いてみると、意外と気軽に楽しめる作品だとわかり、最近よく聴くようになった。中でも何と言っても「オンワード」が素晴らしい。


ジョン・アンダーソンの美しい高音のボーカル、静かに後ろで鳴っているスティーブ・ハウのギターのスタッカート気味のアルペジオ。途中から入るストリングス。力強いボーカルハーモニー。やさしいやさしい気持ちになる。

前作「究極(Going For The One」にも、ジョンの歌うゆったりした静かな曲が含まれていたが、この「オンワード」はその路線の到達点だろう。シンプルな楽器構成、
ストレートな愛情表現の歌詞による、とても印象深い曲である。そこで歌われているのは宗教的な愛に近いと言ってもいいくらいだ。
曲はベースのクリス・スクワイア作。彼はこう振り返る。
「最初僕がピアノで弾いてみんなに歌って聴かせて、そこからアレンジが出来上がったんだ。」

ギターのスティーブ・ハウはこう言っている。
「『オンワード』はいい楽曲だ、いい曲だよ。」

(「イエス・ストーリー」シンコー・ミュージック、1998年)

2009年2月21日土曜日

「ジ・アンダーカバー・マン」ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター

原題:「The Undrcoverman」

■「ゴッドブラフ」(Godbluff)収録




 さあこの鏡を前で すべてのいつもの問題
 そしてすべてのいつもの茶番だ
 おまえはためらうような声で尋ねる 「君はどうするんだ」って
 まるで歌う茶番を続けること以外に
 選択肢があるかのように
 そしてお前は 万事う
まくいくことを願っている

 今夜 なんだかすべてが変な感じだ
 僕の魂はかたくなで
 僕の身体は狂い乱れている
 でも それも単なる一つの見方に過ぎないけど
 そして 僕らは二人の間に思い違いなどない
 僕の変わることのない友人、常に身近にいてくれた
 おまえ そして 秘密捜査員

 僕は思案する:「時間が過ぎていくこと意外に
 
それがいったい何を意味しているか
 わからないまま
 こんな変化を体験しているなんて
 とても不思議だ…」
 
 あぁ、でも僕は考えるのを止める
 いっそのこと 万事うまくなんかいかなくていいくらいだ

 この錯乱状態は 完全な感情が再び戻ってきた波なのか
 それとも 秘密捜査員の隠れ家なのか
 あるいは 熱心な信仰の証が記されている
 連祷(れんとう:司祭の祈りに会衆が唱和する形式)なのか
 あるいは ダムにひびが入ったということなのか

 ひびが入ったのだ;打ち砕かれ、おまえの上にどっと降り注ぐ
 そんな惨事を予想できる程の分別などなかった
 今 うろたえながら おまえは空気を求めて勢いよく飛び出す
 溺れながら、おまえは知
る 
 お前は 何かではなく誰でもなく
 自分自身を愛することを知る
 そしておまえを助けようと伸ばされたこの手さえ
 拒むことだろう
 
 でも今この時 試練のただ中にいるお前を置いて
 僕は去ることができようか?
 おまえが泣き叫んでいるのを ここにいて見ているのは
 僕の間違いなのか?

 もしおまえが去らずに 自分自身で何とかしようとしていたなら
 今頃は 周りにいる妄想の人影に気づき
 自分自身に知らせていたことだろう
 
 しかし今でもまだ 僕らは途方に暮れてはいない:
 もしおまえが夜 外を見るなら、
 様々な色や光が、人々は遠くには言っていないわ
 少なくとも遥か彼方というわけではないわ、と
 言っているかのようであり
 そして僕らがここに居続けるのは
 単なる僕らの無言の抵抗なのだということが わかるだろう

 錯乱状態がやって来ても、溢れささせておけばいい
 そして僕の上には やさしく
 弱くて神聖で呪われた僕の一部を 与えておくれ
 僕の生命を癒
し 僕の魂と生活を 完全に取り去らせておくれ
 僕を あるがままの自分にさせておくれ

 縦一列に並んで 僕らが一緒に走る時間はもうないのかもしれない -
 地平線が 幾重にも平行線を描きながら呼びかけてくる
 一つのやり方を永遠に持ち続けることは 
 良いことではないかもしれないよと
 そして おまえにはまだ時間がある
 まだ時間があるよと



 Here at the glass -

 all the usual problems, all the habitual farce.
 You ask, in uncertain voice,
 what you should do,
 as if there were a choice but to carry on
 miming the song
 and hope that it all works out right.
 
 Tonight it all seems so strange -
 my spirit feels rigid, my body deranged;
 still that's only from one point of view
 and we can't have illusion between me and you,
 my constant friend, ever close at hand -
 you and the undercover man.
 
 I reflect:
 'It's very strange to be going through this change
 with no idea of what it's all been about
 except in the context of time....'
 Oh, but I shirk it, I've half a mind not to work it all out.
 Is this madness just the recurring wave of total emotion,
 or a hide for the undercover man,
 or a litany - all the signs are there of fervent devotion -
 or the cracking of the dam?
 
 It's cracked; smashed and bursting over you,
 there was no reason to expect such disaster.
 Now, panicking, you burst for air,
 drowning, you know you care
 for nothing and no-one but yourself
 and would deny even this hand
 which stretches out towards you to help.
 But would I leave you in this moment of your trial?
 Is it my fault that I'm here to see you crying?
 These phantom figures all around you should have told you,
 you should have found out by now,
 if you hadn't gone and tried to do it all by yourself.
 
 Even now we are not lost:
 if you look out at the night
 you'll see the colours and the lights
 seem to say people are not far away,
 at least in distance,
 and it's only our own dumb resistance
 that's making us stay.
 When the madness comes
 let it flood on down and over me sweetly,
 let it drown the parts of me weak and blessed and damned,
 let it slake my life, let it take my soul and living completely,
 let it be who I am.
 
 There may not be time for us all to run in tandem together -
 the horizon calls with its parallel lines.
 It may not be right for you to have and hold in one way forever
 and yet you still have time,
 you still have time.
 
【解説】
この曲はイギリスのバンド「ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター(Van Der Graaf Generator)」の1975年の復活作「Godbluff」の最初の曲である。ささやくような声からシャウトにまで高まる、ピーター・ハミルのボーカルの凄さを堪能できる一曲だ。

こ の詞には「I」と「you」が出てくる。しかしこれは自分自身との対話、希望を求めて苦悩している対話なのだと考える。だから冒頭の「Here at the glass」のglassをlooking glassと取り「鏡」と訳した。もちろん「ガラス、コップ」などの色々な意味がある言葉だ。そして自分との対話が始まる。二人の自分、あるい は自分の二つの面で強いのは無気力な方、だからそちらが「僕」なのだ。

最初「僕」は「おまえ」を突き放して見ている。「おまえ」は「どうするんだ?」と聞くが、どうしようかと考えるような選択肢なんかないじゃないかと「僕」は思っている。

し かし今日の「僕」は少し変(strange)だという自覚がある。何かが変わろうとしている。「僕」と「おまえ」は常に身近にいる存在。「友」であり「秘密調査員(undercover man)」。「undercover」には「秘密の、スパイ活動の」という意味がある。自分の自己欺瞞を知らぬ間に暴いている、もう一人の自分という感じ か。「おまえ」は純真で無垢な存在。意識しなくても「わたし」の欺瞞に気づいてしまう。

その「おまえ」は「僕」に「どうするんだ?」と聞 くように前向きである。「すべてうまくいくことを願っている」のだ。そして今の自分の変化、一種の錯乱状態が、前向きな「おまえ」を押しつぶそうとする。 しかしその刹那「おまえ」は「自分を愛することを知り」、自分の力で生きていこうとする。

怠惰な「僕」は、自問を繰り返しながら、それで も「おまえ」を助けようとする。一緒にいようとする。そして「僕らはまだ途方に暮れてはいない」「無言の抵抗なのだ」と、逆に混乱している「おまえ」を導 くかのような言葉を言う。人と交わらずに己との対話を選んでいるという自覚が伺える。「僕」は最初より強くなってきている。

「弱くて神聖で呪われた僕」こそが「あるがままの僕」、「自分を愛することを知る」ことができた「お前」、両方とも実は一人の自分。行き方を模索する時間はまだある。生きる意味を考える時間はまだある。

「僕」は「おまえ」との対話の中で、より強い自分を得ようとしている。もちろん結論はでない。でも時間はまだある。そこには希望がまだ残っている。

自分の存在を問う詞であると思う。しかし曲が静かなささやき、あるいはつぶやきのような声に始まり、朗々と歌うラストを迎えることを考えると、希望を持とうとした歌であると思う。

ヴァ ン・ダー・グラフ・ジェネレーターは、1971年の「ポーン・ハーツ」というアルバムを最後に活動を停止していた。本作「Godbluff」は再スタート を記念するアルバムとなる。その最初の曲が、屈折しながらも希望のある曲であることは、ある意味再スタートへの意欲の現れなのかもしれない。

ただしタイトルの「Godbluff」は造語で、「God bless」(神のご加護がありますように)をもじった意味「God bluff」(神のはったりがありますように)を連想させるのだが、さてどうだろう。

ちなみにバンダー・グラフ・ジェネレーターとは「バンデグラフ起電機 (Van de Graaff generator)」という、静電発電機の一種。2ndアルバムのジャケットはそれをドラマチックに描いたものか。
 







2ndアルバム「The Least We Can Do Is Wave To Each Other」のジャケット


2009年2月20日金曜日

「センサー」 パートス


原題:「Sensor」


Timelossタイムロス」収録





 石 - わたしの胸の中に
 ぐちゃぐちゃの状態で生まれた石
 最後の安息に向っていた時に

 わたしはわたし自身を眠らせる
 ゆっくりと夢から走り出し
 失望し 幻滅しながら 這い進む 
 
 あなたはわたしを 苦もなく見つけ出すでしょう
 その時、わたしは微笑んでいるかしら?
 あなたの名前を決してわからないだろうと思うと とても残念だわ


 Stone - Heavy in my chest
 Born in a state of mess
 As I hurry to my final rest

 I put myself to sleep
 Slowly running from my dreams
 Disappointed, disillusioned creep

 You'll find me without pain

 I wonder - will I smile?
 It's a shame I'll never know your name

 
【解説】
「セ ンサー」(原題:Sensor)は、英語のpathos(悲哀)を意味するパートス(Paatos)のデビューアルバム「TIMELOSS」(邦題:「タ イムロス」)、冒頭の曲である。スウェーデン出身の女性ボーカルをフロントにプログレッシヴな音楽を演奏するバンドだ。

サウンドは物憂くけだるい面と、繊細な面と、暴力的な荒々しさが同居する振幅の激しいもの。しかしそれらをペテロネラ・ニッテルマルム(Petronella Nettermalm)の美しいが陰りのある線の細いボーカルが、ひとつの世界へとつなぎ止めていく。

曲 はエレクトリック・ピアノとパーカッションによる心地よいラウンジ・ミュージック的な音楽でオシャレ風に始まる。かと思いきやエレキギターが入るところか ら曲調は一転し、ボーカルが激しいドラムとメロトロンをバックに力強く歌い始める。そしてほぼ一気に上記の歌詞を歌い切る。

曲調は激しいが、歌詞の内容は非常に“死”のイメージが濃厚だ。「最後の安息(final rest)」に向けて急いでいる「わたし」はぐちゃぐちゃの状態でずっしりと重い石を胸の中に持っている。重苦しい、息の詰まるような表現。

第 2連では「わたし」は「自分自身を眠らせる(put myself to sleep)」とあるが、「put…to sleep」には普通に眠らせるという意味だけでなく、「麻酔をかける、安楽死させる」という意味もある。眠たくて眠るのではない、無理矢理眠らせるとい う意味合いが強い表現だ。だから第1連の「最後の安息」とイメージがつながり、「死」を感じさせることになる。

「running from my dreams」とあるので、夢に向ってではなく、逆に「夢から遠ざかるように走る」のである。現実の夢かもしれない。続く「失望し (disappointed)、幻滅し(disillusioned)」という言葉が、夢と対局にあることからも、それは伺えるだろう。

「creep」は2連冒頭の「I」を主語とした動詞として訳した。そこで「失望し、幻滅しながら 這い進む」と訳した。どこに向って?夢とは逆の世界、夢破れた世界、つまり「死」の世界に向って。

そ して「あなた(you)」は苦もなく、簡単にわたしを見つけるだろうと言う。わたしの亡骸だろうか。「その時、わたしは微笑んでいるかしら?」そこに平安 を見つけることができているだろうか。少なくとも現実の辛さから逃れられた安堵に微笑んでいるのかしら、という感じか。

最後の一行「It's a shame I'll never know your name」も、これまでの流れから「死」を感じさせる。残念ではあるが、死んでしまった「わたし」にはもう、わたしを見つけてくれた「あなた」の名前は永遠にわからないのだ。

で はこの「you」とは誰なのだろう?「I」が恋した人と考えると「名前は決してわからない」とあるのがつながらない。この曲を聴いたリスナーはそれは自分 だと思うのではないか。すでにわれわれはパートスの世界、彼女の歌が描く世界に取り込まれてしまっている。われわれ一人一人は、自ら命を絶とうとしている 人間の、一番身近にいるのだ。

ボーカルのパートが終わると、メロトロンが鳴り響く神聖な雰囲気を持ったパートが始まる、ギターが感傷的なメロディーを奏でる。そして激しいけれどもどこか平和なシンセソロで曲はやや唐突に終わる。

まるで詩的に装飾された遺書のような歌詞である。
最初のアルバムの最初の曲がこれである。スゴイ。

ち なみにアルバムトータル時間は40分を切るLP時代を彷彿とさせる長さ。しかしあらゆる要素が混在する密度の高いアルバム。ラストの曲はブラスまで導入し たジャズロック風インストゥルメンタル満載の曲。このバンドはドラムのキレが凄いから、アンニュイな雰囲気を持っていても、ムードに流されないことを再確 認。

キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」並に多様な曲が平然と並び、一つの世界を作り上げているデビュー作にして傑作。

Paatoslive

 
 



 
 





2009年2月18日水曜日

「クレイジー・ダイアモンド」 ピンク・フロイド


原題:「Shine On You Crazy Diamond」


■「Wish You Were Here
「炎 〜あなたがここにいてほしい〜」収録


輝け狂ったダイアモンド パートI
  
若かった頃を思い出すんだ
おまえは太陽のように輝いていた
輝け 狂ったダイアモンドよ
今おまえの瞳の中には
空に浮かぶブラックホールがあるみたいだ
輝け 狂ったダイアモンドよ
子供時代とスターの身分の板挟みにあい
鋼鉄でできたそよ風に乗って吹き飛ばされてしまった
さあ 遠くから嘲笑される標的となったおまえ
さあ よそ者となったおまえ
伝説となったおまえ 殉教者となったおまえ
さあ 輝くんだ!

  
おまえはあまりに早く秘密に手を伸ばした
おまえは月が欲しいと泣き叫んだ
輝け 狂ったダイアモンドよ
夜は多くの影におびえ
ライトにさらされ続けたお前
輝け 狂ったダイアモンドよ
そうさ おまえはきまぐれに几帳面で
自分自身に長居をして嫌がられ
鋼鉄でできたそよ風に乗って行ってしまった
さあ 快楽主義者 幻視者
さあ 画家
笛吹き 捕われし者
さあ 輝け!

  
輝け狂ったダイアモンド パートII
  
おまえはがどこにいるのか 誰も知らない
どれくらい近くにいるのか 遠くにいるのか
輝け 狂ったダイアモンドよ
もっとたくさんの層を積み上げるんだ
そうすればそこで 僕もおまえと一緒になれるだろう
輝け 狂ったダイアモンドよ
そうしたら 僕らは昨日の大勝利の影を気持ちよく浴びて
鋼鉄でできたそよ風に乗って船出するんだ
さあ 少年であり子供であるおまえ
勝利者にして敗北者
さあ 真実と妄想を掘り続ける鉱夫よ
輝け!

 

Shine On You Crazy Diamond part I
  
Remember when you were young,

you shone like the sun.
Shine on you crazy diamond.
Now there's a look in your eyes
like black holes in the sky.
Shine on you crazy diamond.
You were caught in the cross fire of childhood and stardom,
blown on the steel breeze.
Come on you target for faraway laughter
come on you stranger, you legend, you martyr,
and shine!


You reached for the secret too soon,
you cried for the moon.
Shine on you crazy diamond.
Threatened by shadows at night,
and exposed in the light.
Shine on you crazy diamond.
Well you wore out your welcome with random precision,
rode on the steel breeze.
Come on you raver, you seer of visions,
come on you painter, you piper, you prisoner,
and shine!

 
Shine On You Crazy Diamond part II

  
Nobody knows where you are, how near or how far.
Shine on you crazy diamond.
Pile on many more layers and I'll be joining you there.
Shine on you crazy diamond.
And we'll bask in the shadow of yesterday's triumph,
and sail on the steel breeze.
Come on you boy child, you winner and loser,
come on you miner for truth and delusion,
and shine!


【解説】

ピ ンク・フロイドのアルバム中、一番感情がストレートに現れているのがこの「Wish You Were Here」だろう。「The Dark Side of the Moon」(邦題:「狂気」)までは、サイケデリック色、実験色が強く、新しいことに挑戦するんだ新しい音楽を作るんだというような、強い意志と余裕が あったように思う。

それは「The Dark Side of the Moon」でもそうだ。心の底をのぞくような奇跡的な音を作り上げながら、本人たちは実に冷静にそれを見ている感じがする。また「Wish You Were Here」の次のアルバム「Animals」(邦題:「アニマルズ」)は、さらに批評家的な立場まで下がって、現代を描こうとしている。唯一この 「Wish You Were Here」だけが、その時の複雑な心情をストレートに吐露しているように思うのだ。

ピンク・フロイドはオリジナルメンバーであったシド・バレットをフロントマン(ボーカル&ギター)として1967年にデビューする。シド・バレット21歳の時だ。しかしシド・ バレットはロック・スターとして急激な成功を手にしながら、一年後にバンドを去る。ドラッグ(LSD)のやり過ぎとヒット後のプレッシャーで精神を病み、 奇行を繰り返し、ついには次作「神秘」の制作途中で、事実上解雇されてしまうのだ。

シドは元々は穏やかな、絵を描くことが好きな青年だったようだ。「画家(painter)」はそこから出てきた言葉かもしれない。無邪気で繊細で実質的に リーダーだったシド。しかしその彼を解雇しなければならなかったバンドメンバーには、そのことが一種のトラウマとして心の底に残っていたのかもしれない。

「The Dark Side of the Moon」の予想外の大成功で、彼らはシドと同じ立場におかれた。そしてシドを襲ったプレッシャーや自己と周りのイメージの乖離などの苦しみを、この時共有したのではないか。その思いが「Shine On You Crazy Diamond」や「Wish You Were Here」となり、そして状況に振り回される自分たちを皮肉った曲として「Welcome To The Machine」や「Have A Cigar」が生まれた。

さてここまではこのアルバム、あるいは「Shine On You Crazy Diamond」の背景である。それはメンバーの思いでありメンバーが陥っていた状況である。それだけでこの曲を「悲劇の天才を偲んで歌った曲」として片付けて良いのか。実際この曲がシドを歌ったものだとか、シドに捧げるといった文言は、アルバムのどこにも記されていない。それでもこの曲がリスナーを打ちのめす力を持っているのは、サウンド面の素晴らしさだけでなく、詞にも普遍的な力があるからではないか。

まず「Crazy Diamond」という表現。もちろんダイアモンドは美を素材としてもとから持っている(カットするにしても)わけだから、天才的な資質を持っていたシド を比喩しているのは同然だけれども、それを知らないでこの言葉を聞いたらどうだろう。魅惑的で妖しいイメージが広がらないだろうか。

diamondがcrazyとはどういうイメージなのか?素晴らしい資質を持ちながら、現実とうまく折り合いをつけられない「おまえ」を、ここでは「狂ったダイアモンド」 と呼びながら「輝け」と繰り返す。

それは哀れみではなく、呼びかけであり励ましであり、同じ状況の自分たち自身を支えるための精一杯の言 葉だったのではないか。そしてシドが陥った世界とは別の意味で、われわれも現実との折り合いの中で苦しみ、精神的な危機感を常に抱えているのではないか。 様々な相反する言葉は、そのまま精神が分裂しそうな世界に住んでいるわれわれ自身にも重なる。

つまりバンドのメンバーがシドの思いを共有したのと同じように、この詞の「おまえ」にリスナーは自分を見て、それでも「輝け」と繰り返される言葉に心がふるえてしまうのではないか。

パートIからパートIIに移ると詞の内容が変わる。「僕」も「おまえ」のところへ行くぞ、一緒に過去の栄光を味わいながら、船出をするぞと語りかける。リスナーは自分を思う。いつか自分を理解してくれる人の現れること。

アルバム「狂気」は外側から見た狂気だった。「炎」は実は、より内面に踏み込んだ、われわれ皆が抱え込んでいる狂気に触れたアルバムだったのではないかと思うのである。

「姉妹」 ルネッサンス


原題:「Sisters」

■「Novella」(お伽噺)収録




 

 シスターたちは周りにいる人々のために働いた
 彼女たちのスペイン製のレースは 貧しい人たちのパンになった
 彼女たちは心を砕き なんとかしようとしたが
 恐れと何年にも渡る悲しみに 疲れ果ててしまった

 彼女たちを知る男たちは 埃とワインで汚れていった
 怒り狂うほどに照りつける太陽の下で 汗にまみれる日々
 男たちは弱っていき 泣き叫んだ
 そして彼らは願った「シスターたちよ、おれたちを信心深くしてくれよ」

 シスターたちは祈った、「われらに何か希望をお与え下さい」
 男たちは問うた 「あんたたちの神は今日はどこにいるんだい?」
 祈りを捧げている間 シスターたちのうつろな目は
 言葉にできない思いを たたえていた。

 彼女たちにできることは何もなかった
 周辺の大地は何マイルにも渡って埃しかなかった
 この土地では 新しく根付くものはなく
 どんな作物もできなかっった
 そして彼女たちが理解しようとしていた真実は 死んでしまったのだ


 The sisters worked for the people round them
 Their Spanish lace wove some bread for the poor
 And they cared and tried but were worn with
 Their fears and the years of heartbreak

 Dust and wine stained the men who knew them
 The sweat of days in the angry sun
 And the men were weak, and they cried
 And they asked, "Sisters, make us holy."
 
 The sisters prayed, "Give us hope for something."
 The men asked, "Where is your God today?"
 And the empty eyes as the sisters prayed held
 Their thoughts unspoken
 
 There was nothing they could do
 Earth was dust for miles around
 Nothing new survived
 Everything was barren on the land
 And the truth they tried to understand just died
 
 Everything was barren on the land
 And the truth they tried to understand just died
 
 
【解説】
イギリスのクラシカルロックバンド「ルネッサンス」(Renaissance)の代表的な1977年のアルバム「お伽噺」(Novella)から「Sisters」という曲である。ルネッサンスはアニー・ハズラム(Annie Haslam)という素朴なタッチの美声を聞かせるメインボーカルを中心とした、フォークグループ的な構成になっている。したがってエレキギターはいな い。クラシカルなキーボードとギター、そしてフォーク風なボーカルによるバンドなのだが、曲のドラマチックな構成、オーケストラのダイナミックな使用で、 英国随一のクラシカルロックバンドとなった。アニーの声の美しさ、それを引き立てる壮大なアレンジと、親しみ易いメロディー、そしてクラシカルなたたずま いがこのバンドの大きな魅力だ。

さて「Sisters」も名曲である。ピアノのイントロから美しいコーラスを経て、アニーのボーカルが朗 々と歌うこの曲であるが、不毛な土地でひたすら働いても報われない人々と、そこで献身的につくそうとしているsistersの悲しみが歌われている。その 中に「オレたちを信心深くしてくれよ」とか「あんたたちの神は今日はどこにいるんだい?」といった男たちの苦しみの中から出てくる皮肉は、sisters たちが神に仕えている存在であることを物語っていよう。

つまり和訳の「姉妹」は誤りであり、「修道女」、あるいは「シスターたち」を歌った歌なのだ。スペイン風レースを貧しい人のパンにかえるという表現があるが、修道士の仕事は神に祈ること以外に、子供や老人の世話をすること、自給自足の生活を送るための作業などがあった。そしてレース編みなどの手作業も生活の糧を得るための仕事であったようだ。自分たちの生活を後回しにして、周りの貧しい人へ奉仕をしていたということなのだ。

し かし「神に祈り周囲の人々に誠意を尽くし、人々もできる限りの日々の努力をすれば、いつか報われる」という彼女信仰者たちにとっての真実(truth)へ の思いは、報われないままに疲れ果て、最後に“The truth they tried to understand just died.”と締めくくられる。

悲しい物語である。しかし現実にはあり得ることであったろう。アニーの声はシスターたちの悲しみの思い、無念さを、神聖なまでに美しく表現し、オーケストラやアコースティックギターソロが、ドラマティックに曲を盛り上げていく。

「Where is your God today?(あんたたちの神は今日はどこにいるんだい?)」という問いは、現代でも常に発せられている言葉だろう。一方で神への思いだけを頼りに懸命に 生きようとしている人もいる。不毛の大地に住む貧しい人々と、そこで必死に神と人々に尽くそうとして、ついに夢破れていくシスターたちは、今もって大きな 共感を得るに違いない。


2009年2月15日日曜日

「伝承」カンサス


原題:Carry On My Wayward Son

■「Leftoverture 」(永遠の序曲)収録

 


 迷える若者よ そのまま行くが良い
 すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
 疲れ果てた頭を休ませなさい
 もう泣くのはやめなさい
 
 かつて僕は騒音と混沌から上を目指した  
 この幻影の向こうを垣間見ようとして
 
 僕はさらに高みへと上がり続けた でもあまりに高く飛びすぎたんだ
 僕の両目は 僕がまだ盲目だとわかったはずなのに
 僕の心は 僕がまだ狂人だと思っていたはずなのに
 
 夢を見ている時に声が聞こえてくるんだ こう言う声が聞こえるんだ

 迷える若者よ そのまま行くが良い
 
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
 疲れ果てた頭を休ませなさい
 もう泣くのはやめなさい

 理性のある人間を装い
 へたな芝居は季節行事になった
 もし賢い人間であると主張したら それこそ無知というものだ
 
 揺れ動く感情の荒海で
 翻弄され 大洋に浮かぶ船のようだ
 幸運の風を求めて進路を定める でもこう言う声が聞こえるんだ

 迷える若者よ そのまま行くが良い
 
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
 疲れ果てた頭を休ませなさい
 もう泣くのはやめなさい

 そのまま進め お前はいつも忘れないでいるだろう
 そのまま進め 輝きに匹敵するものなんてないと
 今 お前の人生は 空虚なんかではない
 間違いなく 天国がお前を待っているだろう


 Carry on my wayward son
 There'll be peace when you are done
 Lay your weary head to rest
 Don't you cry no more
 
 Once I rose above the noise and confusion
 Just to get a glimpse beyond this illusion
 I was soaring ever higher
 But I flew too high
 
 Though my eyes could see I still was a blind man
 Though my mind could think I still was a mad man
 I hear the voices when I'm dreaming
 I can hear them say
 
 Carry on my wayward son
 There'll be peace when you are done
 Lay your weary head to rest
 Don't you cry no more
 
 Carry on my wayward son
 There'll be peace when you are done
 Lay your weary head to rest
 Don't you cry no more
 
 Masquerading as a man with a reason
 My charade is the event of the season
 And if I claim to be a wise man, well
 It surely means that I don't know
 
 On a stormy sea of moving emotion
 Tossed about I'm like a ship on the ocean
 I set a course for winds of fortune
 But I hear the voices say
 
 Carry on my wayward son
 There'll be peace when you are done
 Lay your weary head to rest
 Don't you cry no more
 
 Carry on, you will always remember
 Carry on, nothing equals the splendor
 Now your life's no longer empty
 Surely heaven waits for you
 
 Carry on my wayward son
 There'll be peace when you are done
 Lay your weary head to rest
 Don't you cry (don't you cry no more)
  
 
【解説】
アメリカのバンド、カンサス(Kansas:カンザスと濁るのが本来の発音)が1976年に発表した「永遠の序曲 (Leftoverture)」の最初の曲である。カンサスは6人メンバー、ベースとドラムス以外に、バイオリン、そしてリードボーカル兼キーボード、ギ ター兼キーボード、ギターと楽器を兼任できるメンバーがいたこともあり、複雑で多彩な演奏が可能であった。しかしそこはアメリカのバンド、ボーカルが力一 杯歌い、美しいハーモニーがつくという、テクニカルながら明るさと分かり易さを同時に備えたバンドであった。

「永遠の序曲」がカンサスを代表するアルバムであると同時に、そのボーカルハーモニーが炸裂しハードなリフで始まる「伝承」は、カンサスを代表する曲にもなっている。

訳詞の方に話をうつすと、最初の4行は「私」に対して聞こえてくる、励ましの言葉である。これは何回も繰り返される。その中で冒頭の“Carry on my wayward son”が難しい。“Carry on”は「そのまま頑張って続けなさい」という命令、“my wayward son”は呼びかけ、と思われる。では“my wayward son”はどう訳すか。

“wayward”は「わがままな、強情な、気ま ぐれの」といったあまり好ましくない性格を言う場合と、「(行動や水路など)方針や方向が定まらない」という意味とを持っている。続く詞に出てくる「私」 の生き方を見ると「わがまま」ではないように思う。「方針が定まらない」、つまり「どう生きて良いかわからずにいる」という具合に解した。

次に“son”である。「息子」とするのは無理だろう。「私」は「声」が聞こえるとしか言っていない。父の声のような懐かしさは微塵も感じられない。ならば「若者よ」とするのが適当か。

ではこれを言っているのは誰なのか?「すべてが終わった時、そこには平穏があるだろう」という表現、そして最後の「間違いなく天国がお前を待っているだろ う」という表現が、非常に宗教的な意味合いを感じさせる。「天国が待っている」というのは「どうせ死んでしまうんだ」ということではなく、「地獄ではなく て天国」ということだ。さらにキリスト教徒のことを“sons of light”(光明の子)という言い方もする。“son”という呼びかけはキリスト教と関係が深いのである。

と考えると、「声」の主は 「神」とするのが妥当だと思われる。しかし「私」はもともと「神」にすがってはいない。「神の声」ではなく、「声」が突然聞こえてくるのだ。だからキリス ト教徒であるとかないとかの問題ではなく、そうした「神」的な、自分を見守ってくれる大きな存在を歌っていると言ってもいいかもしれない。

くじけそうになる「私」、自己嫌悪に陥る「私」が辛くなった時、「神」的存在は「それでいい、そのままがんばりなさい」と励ましてくれる。力強いボーカルハーモニーで繰り返される4行によって、この曲は非常に聴く者に力を与えてくれる名曲となった。

ちなみにタイトルの“leftoverture”という単語はない。“left”は「左の」、「残された、捨てられた」、“overture”は「序曲」だ から「残された序曲」としても良いのだが、“left overture”ではなく“leftoverture”という一単語になっているところがミソである。というのは、もう一つ“leftover”には 「残り物」とか「売れ残りの、使い残りの」という意味もあるのだ。
アルバム最後の曲「超大作」(原題:Magnum Opus)は当初、アルバムタイトルの“Leftoverture”というタイトルが付けられており、それは他の曲の「使い残り」を編集して作られたものだったところから来ているという。だから“Leftoverture”とは“leftover”と“overture”を組み合わせた造語、ちょとしたお遊びだと言えるだろう。
 

2009年2月14日土曜日

「シスター・ジェーン」タイ・フォン



あぁ シスター・ジェーン
君は私を盲目にしたまま去り 僕は途方に暮れている
あぁ シスター・ジェーン
僕に対して 太陽を沈ませないで
悟ろうとしないで
僕が 崩れ落ちないように助けて

あぁ シスター・ジェーン
君は僕の生き方を変えた そして
あぁ シスター・ジェーン
君は僕を一人残して去っていった でも今
僕の心は素直になり
君が与えてくれた日の光に 手が届くようになった

ここにやって来て
お願いだから 僕の目をのぞき込んで
僕は本当に泣きたい
だって一人ぼっちで 悲しみに沈んでいるのが辛いから
 

 Ah, Sister Jane
 You left me blind and I'm lost
 Ah. Sister Jane
 Don't let the sun go down on me
 Don't want to wake you
 Save me from falling down

 Ah, Sister Jane
 You changed my way of life and
 Ah. Sister Jane
 You left me all alone but now
 My mind is open
 I reached the day you brought

 You should go and see
 Please, look in my eyes
 I just want to cry
 'Cause it's hard to be
 All alone and blue


【解説】
「THAI PHONG」は、フランスのプログレッシヴ・ロックバンドであるタイ・フォン(Tai Phong:当時は「タイ・フーン」と書かれていた)の1975年のデビューアルバムである。バンド名がそのままアルバムタイトルになっているわけだ。

ギ ター&ボーカルとベース&ボーカルを担当する、ベトナム系のプレーヤー2名が中心になって結成されたバンドで、ボーカルが東洋人系の声質である点がまず大 きな特徴である。声質の好き嫌いはあるだろうが、歌は非常に上手く、ハイトーンを活かした情感豊かなボーカルは、タイ・フォンの大きな魅力であるし、独特 な声質も、繊細なイメージにつながる大きな個性だと思う。

そんなボーカルに力のあるバンドの、ボーカルの魅力を全面に出したシングルヒッ ト曲がこの「シスター・ジェーン(Sister Jane)」である。アルバムの中ではインストゥルメンタル部分も多いのだが、この曲に関しては完全にボーカル曲、それもドラマチックに盛り上がる4分ほ どの愛の歌である。そのメロディーの美しさ、ピアノから入って次第に盛り上がっていくアレンジの上手さ、ハイトーンを活かしたボーカル表現の素晴らしさ で、名曲の誉れ高い一曲だ。

しかし詞は単純な内容である。シスター・ジェーンに去られた男が、帰って来てくれ、一人ぼっちにしないでくれと、ただただ訴えている曲である。「僕の心は素直になり(My mind is open)」と今の心境の変化を伝えている。僕は前の僕ではなくなったんだと。

“I reached the day you brought.”は、「君が与えてくれた日に僕は到達した」というと意味がよくわからない。一連で「盲目(blind)」、「太陽を沈ませないで (Don't let the sun go down on me)」とあるのを受けて、ここでは“day”を「日の光」と訳してみた。「今までは君が投げかけてくれていた日の光に気づかずにいたけど、それがわかる ようになったんだ」と、ここでも僕が変わったことを訴えていると考えた。

しかし最後は泣き落とし(I just want to cry)である。情けないというか何と言うか。でも別の味方をすれば、飾らないストレートな表現だとも言える。だからこれが切々としたメロディーの感極 まったようなボーカルに乗ると、感動的に聴こえてしまうんだなぁ。名曲ってそんなものですよね。単純だからこそ不変な魅力がある。曲は上の3つの連を繰り 返しながら終わる。

ちなみにタイトルにもなっているシスター・ジェーンであるが、ジェーンはこの男を捨てた女性の名前だとして、このシス ター(sister)は何かが気にかかるところ。「姉、妹」だとマズいだろうし、「修道女」だと置き去りにはしないだろう。sisterにはこの他に「親 しい女の人」という意味がある。これが一番しっくりくるか。訳すとしたら「僕のジェーン」かな。未練たらたらだからな、この男。呼びかけ方にもそれが出て るといったところかな。

それから余計なことかもしれないが、一回目に歌う時だけ1連の「僕に対して 太陽を沈ませないで」部分の英語が「Don't let the sun go down on me」ではなく「Don't have the sun go down on me」に聴こえる。意味は変わらないんだけど。

2009年2月13日金曜日

「フォー・モーメンツ part I&IV」セバスチャン・ハーディ






 I. 至福の時が来たれり

 今あなたが聞こえるすべての言葉が 
 まるで 何かに目の焦点を合わせたみたいに
 そして両手でほとんど触れるくらいに はっきりし始めたのだけれど
 あなたは理解している
 でもすべて存在するのだろうか?

 引き続いて 聞いているうちに
 後ろから響く新しい音に気づいたのだけれど
 そしてそれらの音は 調子を合わせて心の中に入ってきたのだけれど
 すべては存在するのだろうか?

 今あなたは かつて見たことのないすべての色を見ている
 それら一つ一つの色は さらに多くの色へと爆発的に増えていく
 そしてますますその色を変化させていく
 それは存在しうるのだろうか?

 今あなたは 太陽の熱を顔に感じる
 それは この場所の不思議さを示している光だ
 そして あなたが手を伸ばせば 抱きしめることができると感じる
 すべては真実 すべては真実なのだ

 今あなたは 聞こえてくるすべての音が
 
まるで 何かに目の焦点を合わせたみたいに
 そして両手でほとんど触れるくらいに 実感できるのだけれど

 あなたは理解する すべては存在するのだ

 すべては真実

 一瞬の間 その一瞬があなたをつつみこむだろう
 一瞬の間 その一瞬があなたを傷つけることもあるだろう
 その一瞬一瞬は きっとあなたとともにあるだろう
 私の心からあなたに向けた一瞬


IV. すべては真実

 あなたが聞いたすべての言葉は 
 まるで 何かに目の焦点を合わせたみたいに
 そして両手でほとんど触れるくらいに はっきりし始めたのだったが
 あなたは理解したのだ すべて本当に存在したことを


 I.glories shall be released

 Now as it begins all the words that i hear
 Are clear as if you focus your eyes on something
 Near enough to touch with your hands you understand
 Do the all exist ?
 
 Now as it continues you hear and now you find
 That there are new sounds coming from behind
 And as they all come within and all in time
 Do they all exist ?
 
 Now you see all colour you've never seen before
 They're all exploding from one and into more
 And they keep changing their colour ever more
 Can they all exist ?
 
 Now you feel the heat of the sun upon your face
 It's light reflecting the wonders of this place
 And as you reach out you feel you can embrace
 Everything is real, everything is real...
 
 Now you realize all the sounds that you can hear
 Are clear as if you focus your eyes on something that's
 Near enough to touch with your hands you understand
 Do they all exist
 
 Larararadjarandarãn... everything is real...
 
 For a moment, it will hold you
 For a moment, it will hurt you
 And this moment should stay with you
 This moment from my heart
 
 Iv. everything is real
 
 And as it begun all the words that you heard
 Were clear as if you focused you eyes on something
 Near enough to touch with your hands
 You understood that it did exist
 
 
【解説】
先 に訳した「II. ドーン・オブ・アワー・サン(夜明け)」をIとIVの間に組み込めば、セバスチャン・ハーディ(Sebastian Hardie)の大曲「Four Moments」の全訳となる。ちなみに「III. ジャーニー・スルー・アワー・ドリームズ(夢の旅路)」はインストゥルメンタル。

まずIでは、1連、2連が“As”で始まっていて、「〜のようなのだけれど」と、「あなた」に起こっている出来事を半信半疑で見ているような書き方になっている。だから「こんなものが存在するのか?」と問うている。

ところが3連では最初から「あなたは見ている」と言い切っている。目の前の出来事が実際に起きていることが肯定されている。だから「こんなことが存在しうるのか?」と、より現実的な問いに変わってきている。

さ らに4連、5連で「すべては真実」、「すべては存在する」と断定される。様々な色と音に満ちあふれた光あふれる世界。先に訳したIIで、太陽が去り夜の暗 闇がやって来ても、思い出と夢をいだいているうちに、夜明けがまたやってくると言っていた。それと合わせると、すべてが幸福に満ちあふれた天上界のような 世界を描いたのではなく、現実世界で得られる至福の瞬間の素晴らしさを描いていると言える。あくまで現実世界を歌った詞なのだ。

IIIで はIの1連が、ほぼそのまま過去形となって繰り返される。そして「すべては本当に存在した“did exist”と強調されて、曲は終わる。あり得ないような至福の体験、それは一瞬のできごと。だから一瞬一瞬が重要なのだ。その一瞬一瞬をわたしの心から 届けたいと「私」は思っているのだ。

実はギターのマリオ・ミーロ(Mario Millo)が、あるインタビューで答えている。
「詞 的な意味としては、いくつかの解釈が成り立つと思うんだ。僕としては前向きなとらえ方をしたいと思う。ただ部分的には、ある友だちのことが影響 (“inspire”)している。」その友だちとは昔のバンド仲間で、ドラッグのために目の前の現実と心の中の現実が混乱してしまい、数年後に自殺してし まったという。

その友だちへの個人的な思いまではわからないけど、確かにIの音と色と光の描写はドラッギーな感じがするかな。ただこの「Four Moments」という曲には、傷つける(“hurt”)瞬間があっても、現実世界に至福の時が必ずあることを歌おうとしている。

しかし、何よりも美しさと希望に満ちた感動的な音楽自体が、この曲の前向きさを雄弁に物語っているのではなかろうか。いや、まさにこの至福体験を現実の音にしたものが、このアルバム「Four Moments」なのである。

以上終了。


「フォー・モーメンツ part II 」セバスチャン・ハーディ


原題:Four Moments

「FOUR MOMENTS」
(フォー・モーメンツ/哀愁の南十字星)
収録





 II. 我らの夜明け

 まばゆい太陽が
 われわれに昼の光を与え
 今進むべき道を示している

 温かい太陽が
 雨を降らせ 
 われわれが生きる道を清めてくれる

 時は過ぎ
 太陽はから去り
 消えてしまうだろう
 そして私たちにも夜がやってくるだろう
 
 私たちの心の奥底では 
 思い出が生き続けている
 夢見ることに耽っていれば
 すぐに恐れは去り
 暗闇も去るだろう
 そして夜明けがやってくる

 一瞬の間 その一瞬があなたをつつみこむだろう
 一瞬の間 その一瞬があなたを傷つけることもあるだろう
 その一瞬一瞬は きっとあなたとともにあるだろう
 私の心からあなたに向けた一瞬


 II. dawn of our sun
 
 Chiaro sole
 Gives us our day
 Shows us our way
 We make now
 
 Caldo sole
 Brings us our rain
 Cleanses our way
 We live on
 
 Time moves on
 Our sun will be gone
 Leaving our sky
 Our night time will come
 
 Deep in our minds
 Memories live on
 Lost in our dreams
 Soon fear will be gone
 Darkness will leave
 Dawn of our sun
 
 For a moment, it will hold you
 For a moment, it will hurt you
 And this moment should stay with you
 This moment from my heart

 
【解説】
「Four Moments」(邦題:「哀愁の南十字星」または「フォー・モーメンツ」)は、オーストラリアのバンドであるセバスチャン・ハー ディ(Sebasthian Hardie)が1976年に発表したデビューアルバムである。全編マリオ・ミーオ(Mario Millo)の甘美なギターが歌いまくり、それをトイヴォ・ピルト(Toivo Pilt)のキーボードがみごとにサポートするという、叙情派プログレッシヴ・ロック屈指の名盤である。特にメロトロンの効果的な使い方が、ギターととも に大きな魅力であり特徴となっている。
 

Shura_3アルバム収録曲はタイトル上6曲になっているが、1〜4曲はつながって演奏され、詞的にも関連しているので一つの曲と考えられる。実際最初に発売されたLPの裏面には、「Side 1 Four Moments」とあって、その下に1〜4曲のタイトルが書かれているのだ。つまりLPで言うところのA面の4曲は「Four Moments」というタイトルの20分に渡る組曲なのである。 
 
さてここで取り上げたのは、サウンド的には導入部の盛り上がりがいったん終わり、ゆっくりしたギターアルペジオに導かれてメロトロンフ ルートが歌い出す、一番ドラマチックな2曲目である。メロトロンをバックに前半が、そして感動的なギターソロを経て、最後の4行が歌われる。この4行は組 曲全体でも、何回か繰り返されるので、大きなテーマだと言える。
 
この曲の前にある1曲目は、その雄大な“覚醒”を思わせる詞から、最初は何か宗教的な体験を歌っているような気がした。“you”は聴き手全体に対する呼びかけかと思った。そしてこの2曲目も、太陽や昼と夜を歌った前半部は、その流れを継いでいるように感じた。
 
し かしこの2曲目では、「私たち」“we”を太陽が導き、例え夜になっても、また夜明けがやってくると歌われる。「私たち」は思い出も共有している。同じ夢 も持っている。そして最後、“This moment from my heart”と、「私」が出てくる。「私の心からあなたに向けた一瞬」。ということは“you”は、「あなたたち」と広く呼びかけているのではなく、特定 の「あなた」への呼びかけだと分かる。
 
したがってこれは宗教的な歌ではない。宗教的な崇高な気持ちにまで高まった「私」から「あなた」 への思いを表現した歌なのだ。相手は恋人かもしれない。あるいは男性の友人かもしれない。同じ思い出と夢を持ち、辛い時期(夜)が来てもまた良い時期 (朝)はやってくる。一瞬、一瞬、相手を包み込んだり(hold)傷つけたり(hurt)仕合いながらも、その一瞬一瞬をともに過ごしていこう。その一瞬 一瞬は私の心からあなたのために用意されたもの。
 
そう考えると1曲目では、私たちが一緒にいることで「あなた」の世界がこんなに開けてきているだろう?と歌っているのわけだ。う〜ん、愛にしても友情にしても、この「Four Moments」は、雄大にして崇高なる思いが詰まった曲だったのだ。凄い。
 
ちなみにLP及びCD(私の持っているのは1994年発売盤)では、英詞が間違っているため、訳詞も違っている。Lyrics Spot.comサ イトにあった英詞(これもスペリングミスがあったりしたのだけれど)を参考にさせていただいた。なんと一連、二連の最初の言葉「Chiano sole」と「Caldo sole」はともにイタリア語であった。聴きながら英語っぽくないなぁとは思ってたけど。はぁ〜疲れた。
 

2009年2月11日水曜日

「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ1:アカペラ」キング・クリムゾン

原題:「The Power To Believe : A Cappella」

「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ
(The Power To Believe)収録




 

彼女は 無気力な日々 ずっと私を支えてくれている
彼女は 乾いた僕をたっぷりの水で潤してくれる
彼女は ある意味、僕の人生を救ってくれたんだ
信じる力を 僕に取り戻させてくれた時にね


 She carries me through days of apathy
 She washes over me
 She saved my life in a manner of speaking
 When she gave me back the power to believe

【解説】
70年代から現在に至るまで、プログレッシヴ・ロックのみならず、ロック界全体でも常に先鋭的な活動をし続けている現役バンドKing Crimsonの、2003年の作品、現時点での最新アルバム冒頭の曲である。

「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ」はI、II、IIIとアルバム中3回出てくるが、上記の歌はIとIIIで歌われる。ただIIIではサウンドとの掛け合いのようになっているので、歌として通して聴けるのはこのI、つまりアルバム最初の曲においてということになる。それもイコライズされた声ではあるがアカペラで。とても短いが印象に残る曲だ。

訳詞上のポイントは“in a manner of speaking”で、「いわば、ある意味で」という熟語だから、「話す」とは言っていない。彼女はカウンセラーのように、話すことで「僕」を救ってくれている訳ではない。

「信じる力」(The Power To Believe)とは、何と力強い言葉だろう。1969年のデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」の『エピタフ』で、“混乱こそが私の墓碑名とな るだろう”と歌って、当時のニューロックの中でも強烈なインパクトと支持を得たバンドは、今絶望の中の希望を歌おうとしている。

もちろん 能天気に現状を肯定したり、道徳的に人を信じましょうと説いているわけではない。むしろこれは「彼女」への感謝の言葉であり、おそらく愛の言葉である。無気力な自分を見捨てず、ただそばにいてくれた彼女。それが信じる力を取り戻すことにつながったのだ。だから、この歌は希望の歌であり愛の歌である。そし て、それがこのアルバムのキーワード、つまりアルバムコンセプトだと言ってよい。

“She carries me through days of apathy”は現在形だから、私の無気力な日々はきっと今も続いている。「私」は信じる力を心に持ち続け、「彼女」に支えられながら、生きるために戦っている。
 
時に70年代以上に複雑でヘヴィーな曲を演奏しながら、それは70年代当時の現状に対する怒りや悲しみとは異なり、21世紀の現状に屈しないと言う 意味で、今のCrimsonは戦闘的ですらある。だから叙情に流されるメロトロンを使わなくなったのだろう。詞はギター&ボーカルのエイドリアン・ブ リュー(Adrian Brew)作。

時々口ずさんでしまうんだなぁ。