2009年5月29日金曜日

「サマー'68」ピンク・フロイド

原題:Summer '68

Atom Heart Mother(原子心母)収録








行く前に何か言うことはいいたいことはないの?
たぶんどんな気分かをはっきりと言いたいんじゃないかな
僕らはこんにちはを言う前にさようならを言っている
君のことを好きですらない;まったく気にもならない
ちょうど6時間前に僕らは出会った。音楽がひどくうるさかった。
君とのベッドから今日僕は出て、まるまる一年をムダにした気分だ
だから知りたいんだ
どんな気分なんだい(どんな気分なんだい)?
どんな気分なんだい(どんな気分なんだい)?

一言も交わさなかった;夜が二人の恐怖心をまだ隠していたから。
時折君は微笑んで見せたけど、どうしてそんなことをしたの?
35度(華氏95度)もある部屋にいるのに僕はすぐに寒さを感じた。
僕の友だちらは太陽の下で横になっている;そこにいられたらよかった
明日はまた別の街だ、そして君のような別の女性。
別の男を迎え入れるために立ち去る前に、時間はあるかい?
どうか教えてくれないかな
どんな気分なんだい(どんな気分なんだい)?
どんな気分なんだい(どんな気分なんだい)?

さようなら君
シャーロッテ・プリングルがもうすぐやって来る
今日はもう何もしたくない


Would you like to say something before you leave?
Perhaps you'd care to state exactly how you feel.
We say goodbye before we said hello.
I hardly even like you; I shouldn't care at all.
We met just six hours ago; the music was too loud.
From your bed, I came today and lost a bloody year.
And I would like to know,
How do you feel (how do you feel)?
How do you feel (how do you feel)?

Not a single word was said; the night still hid our fears.
Occasionally you showed a smile, but what was the need?
I felt the cold far too soon in a room of ninety-five.
My friends are lying in the sun; I wish that I was there.
Tomorrow brings another town, another girl like you.
Have you time before you leave to greet another man?
Just you let me know,
How do you feel (how do you feel)?
How do you feel (how do you feel)?

Goodbye to you,
Charlotte Pringle’s due,
I've had enough for one day.

【解説】

「原子心母」の旧LPのB面に並ぶ小曲の中のリック・ライト作の一曲。ロジャー・ウォーターズがリーダー的にアルバムコンセプトや曲作りに力を発揮し出す前は、リック・ライトもキーボードだけでなく、作曲&ボーカルでもバンドに貢献していた。ポンペイのライヴ映像でも、しっかりボーカル取ってるのがわかる。

さてそのリックの作ったこの曲は、静かなピアノ弾き語り風に始まり、優しく美しいボーカルが印象的な曲。かと思っているとサビのところで一気に盛り上がる。間奏部にはブラスオーケストラまで飛び出す。非常に落差が激しく、ピアノ、アコースティックギター、ブラスオーケストラと多彩な音を、巧みな構成で聴かせる。

ブラスオーケストラが入る直前に、ピアノの音の位置が中央に移動していくあたりに、ピンク・フロイドらしい音作りの魅力も感じられる。

そこで歌詞である。「友だち(My friends)」とは違った生活を送っている「僕」の、虚無的な心を歌った曲。6時間前に出会い、ベッドをともにし、出会いの挨拶もしないうちに、もうさようならという女性との関係を歌っている。

「僕」は「君」のことを好きでも何でもないとまで言う。一言もしゃべらずお互いの恐れは夜の闇が隠してくれた。「君」は時々笑みを浮かべたけど、そんなことして気を遣わなくてもよかったんだ。暑い部屋の中でも「僕」は寒さを感じ、太陽の下で寝転んでいる友だちをうらやんでいる。つまりこの虚無感は出会ってからずっと続いているのだ。後から悔やんでいる訳ではない。

「明日はまた違った街、そして君のような違ったまた別の女性」というのは、ピンク・フロイドのツアーに照らして考えれば、コンサート会場ごとにグルーピー(groupie:ロックバンドの親衛隊、おっかけ)が待っていることを言っているのだろう。ピンク・フロイドと切り離して考えれば、そうした流れ者な生き方をしている「僕」なのだ。

こんなゆきずりな関係を「僕」は虚しく思っている。そして「君はどんな気分なんだい?(How do you feel?)」と相手に問う。君はたぶんどんな気分か言いたいんじゃないかな、と思っている。君はこんな関係を虚しいとは思わないのかい?逆にこんなことでも楽しい一時を過ごせたと喜んでいるのかい?

そう、虚しいとはっきり言って欲しいのかもしれない。あるいは問いただし続けることが、自分が虚しい気持ちでいることの訴えなのかもしれない。しかし答えは得られない。虚しさを逃れるすべは今の「僕」にはないからだろう。

最終連、二行目だがライナーノートには「Charlotte Pringle's due」と記載されている。これとは別にネット上のファンサイトや歌詞サイトでは「Charlotte Pringles too」となっている例もある。


まず「
Charlotte Pringle」とは何の名前かが、この歌詞の中からではわからない。ネット上では「都市の名前」という説もあった。

もし
「Charlotte Pringle's due」ならば、「Charlotte Pringle is due」と、be動詞の部分が短縮形になっている文章だと解釈して、「(次の公演場所)シャーロット・プリングルが待っている」と、毎日のように移動とコンサートに明け暮れていた生活を思わせる一行だと取れる。

また「Charlotte Pringles too」で解釈するなら、今滞在している都市に対しても「(Goodby to)Charlotte Pringles too(シャーロット・プリングルの街にもさようなら)」と取ることが出来る。

しかし、
Google Earthで「Charlotte Pringle」を探そうとしたが、該当する場所がないようだった。

次に
「Charlotte Pringle」は女性の名前だと考えてみる。「たぶん次に待っているグルーピーの女性」というネットにあった説に従えば、「Charlotte Pringle's due」ならば「シャーロット・プリングルがもうすぐやってくる予定だ」という感じか。6時間前に会った、おそらく名前もろくに知らない今の女性よりは、フルネームを知っている、親しく長い付き合いであると思われる女性。あるいは「僕」の恋人の名前かもしれない。

「Charlotte Pringles too」で考えると、「さようなら君(Goodbye to you)」に続いて「シャーロット・プリングル、君も(さようなら)なんだね」と、部屋から出て行こうとしている女性を見ている様子か。

しかし「I've had enough for one day.(一日分としては十分なことをやり終えた)」、つまり本当はもう一人にして欲しい。そっとしておいて欲しい。できることなら、友だちと同じように太陽の下で寝転がっていたい。そんな最低な心境なのだ。

いずれにしても、個人名が出てくることで、歌詞全体のリアリティーが一気に上がる効果を持つ一行だと言える。

「バンドの二度目のUSツアーにまつわる曲で、作曲者のリチャード・ライトがあるグルーピーとの出会いのあとに感じた精神的な虚無感について歌っている…(中略)…『68年の夏あ、どこにでもグルーピーがいた』何年も経ったのち、ライトはこう語っている。『彼女たちは専属のメイドみたいに面倒を見に来てくれて、洗濯をして、一緒に寝て、淋病をうつしていた』」

(「ピンク・フロイドの狂気」マーク・ブレイク、

ブルース・インターアクション、2009年)

グルーピーとの生活を歌ったのだとしても、そうした背景とは切り離して一つの曲として聴いてみても、「僕」をとりまく、非常に不安定な生活、心の通わない虚しい出会いを切り取った印象的な歌詞だ。

ブラスオーケストラのドラマティックな音が「僕」の激しい自責に近い気持ちを表しているようでもあり、また一方で、やわらかなボーカルとアコースティックな伴奏が、「僕」がとても優しい思い、優しい目で、相手の女性を見ているような印象を残す。名曲。


2009年5月23日土曜日

「ヒム」バークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト

原題:Hymn

■「Gone to Earth
(ゴーン・トゥ・アース)収録




谷は深く山々は高くそびえ立つ
もし君が神を見たいのなら反対側に移らなければならない
そこで君は頭を雲の中に突っ込むように立ち上がる
飛ぼうとしちゃダメだ、それじゃ降りられないことはわかってるだろ
飛ぼうとしちゃダメだ、ああ神よ、君は降りてはこられない
イエスは天から大地へと降り立った。
人々は言った、これが処女懐胎だと
  
彼は主の偉大なる話をした
そして彼は自分がわれわれ全ての救済者だと言った
彼はの偉大なる話をした
そして彼は自分がわれわれ全ての救済者だと言った
  
それゆえに、彼ら/我らは彼を殺し、高い場所に釘付けにした
彼はまるで我らに理由を尋ねるかのように甦った
そして空高く昇天して行ったのだ
まるで神とともある時のみ君は舞い上がり
まるで神とともにある時のみ我らは飛ぶかのように
  
谷は深く山々は高くそびえ立つ
もし君が神を見たいのなら反対側に移らなければならない
そこで君は頭を雲の中に突っ込むように立ち上がる
飛ぼうとしちゃダメだ、それじゃ降りられないことはわかってるだろ
飛ぼうとしちゃダメだ、神よ、君は降りてはこられない
  
 

Valley's deep and the mountain's so high
If you want to see God you've got to move on the other side
You stand up there with your head in the clouds
Don't try to fly you know you might not come down
Don't try to fly, dear God, you might not come down
Jesus came down from Heaven to earth
The people said it was a virgin birth
Jesus came down from Heaven to earth
The people said it was a virgin birth

He told great stories of the Lord
And said he was the saviour of us all
He told great stories of the Lord
And said he was the saviour of us all

For this they/we killed him, nailed him up high
He rose again as if to ask us why
Then he ascended into the sky
As if to say in God alone you soar
As if to say in God alone we fly.

Valley's deep and the mountain's so high
If you want to see God you've got to move on the other side
You stand up there with your head in the clouds
Don't try to fly you know you might not come down
Don't try to fly, dear God, you might not come down


【解説】
「Gone To Earth」はバークレイ・ジェイムズ・ハーヴェスト(Barclay James Harvest)が1977年に発表した、第10作目の作品である。「hymn」とは「聖歌、賛美歌」のこと。バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェストなりの、オリジナル賛美歌という感じだろうか。

フォークタッチ、あるいはブルース風にアレンジした美しく素朴なメロディーが、オーケストラやメロトロンによってスケールの大きい、叙情的な楽曲として奏でられるというのが、バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェストの特徴。初期には、後にThe Enidを結成するロバード・ジョン・ゴドフリィがオーケストラの指揮とアレンジをしていたことでも、オーケストラの役割の高さがうかがい知れる。

この、曲自体がオーケストラの使用を前提としたクラシカルで壮大な楽曲ではないというところが大事なところ。基本はメロディーの美しい歌モノなのだ。その叙情性やドラマチックさを高めるために、非常に巧みにオーケストラを使っているのである。

この「Hymn」もアコースティックギターによるフォークソング風な始まりから、次第にキーボードやオーケストラが厚みを付けていくが、バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェストの基本である、美しく憶え易いメロディーを持つ特徴が活かされている。事実、シングルカッとされてヨーロッパでヒットしたと言われる名曲だ。

「話者」は「君(you)」に語りかける。「神を見たいなら反対側へ行かねばならない」と。「the other side」とあるので、沢山あるうちの一つではない。「こちら側」と「その反対側」の二つだ。今いる方にいたら、いくら高みを目指しても神を見ることはできないのだ。

では「反対側」とは何か。これは信仰の問題がからんでいるのではないかと思う。今の、興味本意で神を見たいと思っているのならダメなんだ。それとは正反対の、神の存在を信じる場所に自らを置かなければ、高くそびえたつ山の上にたどり着き、雲から頭を突き出すところまで上り詰めることはできない。

そしてそこで「神」を見たとしても、そこから「飛んではダメ」なのだ。「dear God(ああ神よ)」は、一種の感嘆詞で、「神(God)」に向って「降りられない」と言っている訳ではないだろう。あくまで「君(you)」のことを言っているのだ。

神を「see(見る)」レベルの信仰では、飛ぶことも、「降りる(come down)」こともできない。

そしてキリストの話が披露される。「イエス(Jesus)」がこの世に「処女懐胎(virgin birth)」と呼ばれるかたちで降り立った(came down)人物だ。そして偉大なる「神(Lord)」の話を伝えて歩いた。彼は自らを全人類の救済者だと言った。GodとLoadは「神」と「主」と訳し分けられる場合もあるようだが、ここでも厳密な区別はつけていないように思う。

キリスト教に関しては語れるだけの知識を持っていないので深入りは避けるが、少なくともこの歌詞ではキリストは「主の伝道者」であり「人類の救済者」であるとされている。

一応確認しておくと、
・ヨゼフとマリアの間に処女受胎(virgin birth)というかたちで生を受ける。
・宣教活動を行う。
・自らを「神の子」などと呼んだ罪などにより、磷付に処せられる。
・3日後に復活(resurrection)する。これをお祝いするのがEaster。
・再びキリストが昇天する(ascention)。

そこで再びこの曲の歌詞を見てみると、「伝道者」にして「救済者」であるキリストは「高い場所で釘付けにされた」というのは磷付にあったことを指しているだろう。「甦った」のは「resurrection」、「昇天していった」のは「ascention」と、キリスト教の教えの流れに沿った話になっている。

その「ascention」の時に、「話者」は言う。キリストはまるで、自分と同じように「神の中にいる(in God)」時だけ、「soar(舞い上がる)」も「fly(飛ぶ)」こともできるのだと言っているかのようだと。

そこで最初の「you」の話へと戻る。「神」を見ることはできるのだ。しかし舞い上がったり、飛んだり、降り立ったり(come down)することは、「神の中(in God)」にいなければできないのだ。

そこまでの信仰心を持たないと、思い切った行動がきちんとした結果に結びつくことはないのだと、比喩的に言っているのではないだろうか。とすると、この曲は題名通りの、かなり宗教色の濃い曲だと言うことになる。
ただ例えばIONAのように基本的にキリスト教色が強いというバンドではないので、やはりヨーロッパにおけるキリスト教文化の浸透度というか存在感の前では、特別宗教色の強い曲という感じでもないのかもしれない。

プログレッシヴ・ロックの範疇に入れられることが多いバンドだが、テクニックや現実批判や幻想世界を見せる類いのバンドとは一線を画し、非常に美しいメロディーとソフトな歌声を大切にしたロックバンドの、傑作アルバム冒頭の曲。
ちなみにアルバムタイトルの「Gone To Earth」は「隠れて」という意味。美しいジャケットのフクロウは、今森の奥へと隠れようとしているところなのかもしれない。

2009年5月15日金曜日

「チョコレート・キングズ」PFM

原題:Chocolate Kings

■「Chocolate Kings  
 (チョコレート・キングズ)」収録








オレが生まれた時、奴らはオレたちに自由を与えにやって来た
戦争の傷跡を癒すために
でかくて太っちょの女性の写真を持って
チョコレートの王様が現れたのだ
たいそうな努力をしてオレたちを養うために
そしてオレたちを 誇りと
星とキャンディーバー(棒形のビスケット)で太らせるために

シャーリー・テンプルはお気に入りの童謡の中に
えくぼをちょっと浸してみた
でかくて太っちょの女性の愛は純粋で単純
そして親切なるドル記号($ のこと)
大声で子守唄を歌った

とても残念だ
彼女のスーパーマンはファンを失っている
オレは残念だと思ってるよ
とても残念さ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ

彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
彼女が家へと戻る時
鏡を見てくれるといいんだが

彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
とても残念だぜ

彼女のスーパーマンはファンを失った
オレは残念だ
とても残念だよ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ

今あんたもオレもでかくて太っちょの女性を知っている
彼女はオレたちをペテンにかけたんだ
でも用心棒は失業し
チョコレートの王様は死にかけている
おまえだってチョコレート天国のために
人生をムダにしたくはないだろ
おまえだって生き続けたいだろ
生き続けたいだろ


When I was born they came to free us
to heal our battle wounds
with photographs of big fat mama
the chocolate kings arrived
to feed us full of good intentions
and fatten us with pride
stars and candybars!

Shirly Temple dipped her dimples
in favorite nursery rhymes
big mama's love was pure and simple
and gentle dollar signs
sang out lullabies!

So sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry
so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry

Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
hope she takes a look in the mirror
while she is on her way home ...

Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
so sorry

her superman is losing fans
and I am so sorry so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry...

Now you and I know big fat mama
she took us for a ride
but musclemen are out of business
the chocolate kings are dying
you don't wanna waste your life for
chocolate heaven
you like to stay alive
like to stay alive!!


【解説】
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)の1975年作。初期の素朴で詩情に溢れたアルバムから、次第に音にダイナミックさが加わり、「Photoes of Ghosts(幻の映像)」では、既発のイタリア版アルバムを元に、ピート・シンフィールドの英詞を使う事でイギリスを通して世界進出を狙っている。

実際、アメリカでのライブは盛況だったようで、ライブアルバム「Cook」(イタリア本国では「Live in USA」)を聴くと、聴衆の熱狂具合いが伝わってくる。

その「Cook」に続いて、それまで特にライブで弱かったボーカル部分の強化に、元アクア・フラジーレ(
Acqua Fragile)からリード・ボーカルとしてベルナルド・ランゼッティ(Bernado Lanzetti)を迎え、全曲オリジナルの英詞による、最初から世界進出を目指して作られた作品である。

LP盤の山岸伸一氏のライナーノートに次のように書かれている。

「『チョコレート・キングズ』は全て英語の詞で、自らの手でそれを書いている。その点について、ヌメロ・ウノから出たイタリア版に載っているPFMのメッセージの要約を伝えておこう。
『このアルバムの詞を英語で書いたのは、よその国の人たちにもぼくたちの言わんとすることを正確にイメージしてもらいたかったからなんだ。ぼくたちはイタリア語のヴァージョンも吹き込もうかと話しあったんだが、そうすると言葉の響きとかリズムにどうしても無理が生じてしまう。だから詞は英語のままにしておりて、その意味を説明するために訳詞をここに乗せようと決めたんだ。』


こうして英語による世界進出、つまりアメリカ進出をメンバー自らが自覚して作られた最初のアルバムがこの「Chocolate Kings」と言う事なのだ。


当時多くのバンドはアメリカ進出こそが最後の目標であった。Pink FloydもKing Crimsonも、アメリカでのライブを勢力的にこなしている。つまりアメリカで成功すること、それはPFMにとっても大きな目標であり夢であったはずだ。

しかしイギリス勢と異なるのは、イタリアは第二次世界大戦で敗戦国だという点である。日本と同じように、イタリアにも戦後、“解放”と“再建”と“自由化”のために「アメリカ」がやってきた。チョコレートとキャンディーをまき散らし、スーパーマン(アメコミ、及びアメリカのテレビを代表するヒーロー)や、シャーリー・テンプル(アメリカのハリウッド映画を代表する女優。1930年代にはアメリカを象徴するほどの名子役。後に政治家となる。)といったアメリカ文化が、自由と正義の象徴のようになだれ込んできた。

しかしそれは結局アメリカによるイタリアの経済的な支配と文化的なアメリカ化であった。そしてこのアルバムタイトル曲の「Chocolate Kings」とは、まさにこのアメリカ的なもののこと
を指していると見て良いだろう。big fat mamaもアメリカの豊かで開放的なイメージだ。そのbig fat mamaを指して「she took us for a ride」とあるが、これは口語的表現で「
人をだます, ペテンにかける」という意味。もうオレもお前も、ダマさされてたってことは知ってるんだぜ、っていうことだ。ここでの「お前(you)」は、同じイタリア人のことを指してしると考える。

「オレ」は言う。「残念だったな」。「I'm sorry」と言うのは話し手がミスを犯して謝る場合にも使うが、アメリカ英語ではどちらかというと「Excuse me.」を使う。「sorry」にはそれとは別に、「気の毒に思う、残念に思う」という意味があり、ここではそちらの意味で使われているわけだ。謝っているわけではない。「お気の毒に」という感じだ。皮肉っているわけだ。

アメリカが経済的文化的にイタリアを支配しようとしたことに対し、もう誰もアメリカのことに興味は失っているよ、チョコレートの王様はイタリアでは生きていけなかった。でかくて太っちょの女性も帰り支度をしているところだ。アメリカの思うようには上手くいかなくて残念だったな、しかしオレたちはイタリア人として誇りを持っていき続けるんだ、という、実に反アメリカ的な歌、強烈なアメリカ批判を含んだ歌なのである。(右図はイタリア国内版ジャケット)

もちろん実際はアメリカ支配は続いている。だから当時のイタリアのロックバンドはAreaを引き合いに出すまでもなく、政治的なメッセージ性が高かった。この歌詞も、「残念だぜ」と皮肉っぽくアメリカが破れ、自国へ帰っていく様を見送っている歌ではあるが、現実的にはそれは切なる希望、あるいは大きな主張であったのだろう。つまり「アメリカよ、出て行け」ということだ。

ここで矛盾が生じる。アメリカマーケットという世界進出を本格的に目指したアルバムで、こうしたアメリカ批判をストレートにやってしまっていいのかということ。ピート・シンフィールドの歌詞、あるいは意味のわからないイタリア語の歌詞なら、アメリカでもその類い稀なる各自のテクニックと見事なアンサンブル、そしてクラシカルな詩情を大いに評価され得る。しかし英詞でストレートに批判されるアルバムを、アメリカンチャートが受け入れてくれるだろうか。

本アルバム発表後、ヴァイオリン&フルートのMauro Paganiが脱退し、全く正反対の自国文化、自国の音楽に目を向けたソロアルバム「地中海の伝説」を発表する。そしてPFM自身もやがて再び目を国内へ向けた作品を作り出す。

音楽的には、ボーカルを専任化したことによる余裕なのか、
細かいビブラートを特徴とするハスキーなベルナルド・ランゼッティのパワフルなボーカルに負けじと、各プレーヤーはこれまでになく非常にテクニカルで緊張感溢れるプレイを見せる。初期の頃の詩情は影を潜めたため、好き嫌いは分かれるかもしれないが、全曲歌モノであるにも関わらず、アンサンブルの凄まじさ、テンションの高さは尋常ではない。

世界進出への野望と、それに相反するアメリカ批判。その両方を抱え込んでいるこのアルバムは、実はそんな彼らのコンプレックスやジレンマが音楽的に爆発したものだったのかもしれない。傑作。



2009年5月10日日曜日

「ようこそマシンへ」ピンク・フロイド

原題:「Welcom To The Machine」

■「Wish You Were Here
「炎 〜あなたがここにいてほしい〜」収録

 





わが息子よ、ようこそ、このマシンへようこそ。
どこに行っていたんだい?どこへ行っていたかわかってるから大丈夫さ。
おまえは配管の中にいたんだ、時間をつぶし、オモチャと「ボーイスカウト活動」を与えられて。
おまえはは母親を罰するためにギターを買った、
学校は好きじゃなかった、そして
おまえは誰の道化でもないと知っていたんだ、
だからようこそマシンへ

わが息子よ、ようこそ、このマシンへようこそ
おまえはどんな夢を見ていたんだい?どんな夢を見ればいいか教えてあげたから大丈夫さ。
あまえはあるビッグスターのことを夢見た、彼はスゴイギターを弾いた
彼はいつもステーキ・バーで食事をし、好んでジャガーを乗り回した。
だからようこそマシンへ


Welcome my son, welcome to the machine.

Where have you been? It's alright we know where you've been.
You've been in the pipeline, filling in time, provided with toys and 'Scouting for Boys'.
You bought a guitar to punish your ma,
And you didn't like school, and you know you're nobody's fool,
So welcome to the machine.

Welcome my son, welcome to the machine.

What did you dream? It's alright we told you what to dream.
You dreamed of a big star, he played a mean guitar,
He always ate in the Steak Bar. He loved to drive in his Jaguar.
So welcome to the machine.


【解説】
「炎〜あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」の旧LPのA面最後の曲である。最初の「狂ったダイアモンド パート1」からSEをはさんで引き続き演奏される曲だ。SEは動力室の中のような規則正しい音。

そして美しいアコースティックギターの音とともに、振り絞るようなデイヴ・ギルモアのボーカル。「ようこそ」といいながら、そこには相手を迎え入れるというより、何か追い詰められたような悲痛な叫びを感じてしまうような歌い方だ。そして感情が落ち着かないようなメロディー。迎え入れているのは誰だ?叫んでいるのは誰だ?

「Welcome my son」と「話者」は呼びかける。キリスト教で信者のことを「Son of God」と言うことがあるので、必ずしも「話者」=「父」が「息子」に語りかけているとは限らない。マシンで人々を救済しようとしている団体の者とも言える。

そしてその団体の「わたしたち(we)」は、「おまえ(you)」がどこへ行っていたかも知っているし、何を夢見るかも教えたのだ。その夢とはビック・スターになる夢。

つまりこういうことではないか。

「私たちは、あなたが抑圧された子供時代を送り、ギターを買うことで母親に反抗しようとしたことも、学校が嫌いで、誰からもバカにされたくないと思っていたことも知っている。だからビッグ・スターになるんだろ?それを夢見ることを教えてあげただろ?贅沢な生活が君を待っているんだぜ。だからマシンへおいで」

細かいことをつべこべと言う母親(ma = mother)ではなく、でっかい夢を語り、わかったような口ぶりで父親のように接してくるこの「話者」は、「夢」を実現させるための音楽業界人であり、machineは音楽業界の売らんがためのシステムと見ることができるのではないか。

そこに「狂気(The Dark Side Of The Moon)」の成功でビッグになりながら、憔悴しきってしまったメンバーの心境が込められているのではないか。自分たちが見た夢の先には、実は苦悩しかなかったことを、ギルモアのボーカルや嵐のように唸るようなリック・ライトのシンセサイザーが示しているように思える。つまり成功したのに追い詰められている自分たちの苦しみを表した歌なのだ。

しかしまたそうした孤独は、単に音楽業界の問題だけではないことも見て取ることが出来る。両親や学校、そして「わたしたち」のような大人によって、押さえ付けられ、抑圧され、何かを常に強制されてきたこれまでの人生に対する絶望、怒り。そうした人々の心に潜む孤独の叫びが、「マシン」を夢想させているのかもしれない。

曲は場所へ移動するようなSEでパーティーが行われているかのような穏やかな騒がしさにあふれている部屋へ到着する。しかし唐突に話し声や笑い声は消えていく。

作詞は後に「The Wall」を作り上げるロジャー・ウォーターズ。「The Wall」の影が垣間見える。


2009年5月7日木曜日

「キャン-ユーティリティ・アンド・ザ・コーストライナーズ」ジェネシス


原題:Can-Utility and the Coastliners

■「フォックストロット」収録





砂にまみれ波に洗われて
海辺にばらまかれた一冊の本のページたち
雲によって影が加わる
それは過去の眼差しのように、ページに目を通していく、しかし上げ潮が
権利を主張しながら 苦もなくページたちを奪っていく

書物のページは皆に飽き飽きしていた男について語っていた、

彼らは次のように歌っていたのだ、
「彼を讃えよう、彼を讃えよう」
「われらはおべっかを言う者など気にはしない」彼は叫んだ。
「われわれの命令で、流れる水すら退却する、
    わが力を示したまえ、わが足下で水を止まらせたまえ」
しかし呪文は力を保てず、
冷たい風が吹きすさぶのみ

北方から空一面にを覆うかのような軍勢が
怒りと嘲笑で非難をしながら、嵐のように激しく不安を高めるゆえに。
波が沈み行く王座を取り囲む
「彼に王位を、彼に王位を」と歌いながら

「われらが王を愛するものは、それを態度で示すのだ」
全ての者が膝を折り忠誠を誓う

しかし彼は例え捧げものが波間に落ち彼の希望が打ち砕かれたにもかかわらず
無理をして微笑みを浮かべた。
「誰も笑わぬ限りは、いかなるものも、わが平和を壊すことは不可能だ。」
さらに耳をすませ、さらに目を大きく開き、
まもなく彼らはずうずうしくも笑い出す。

顔を真っ赤にした小柄な男を見るがいい
もっとも彼の話はしばしば、彼は死んでいるんじゃないかと思えるものなんだが。



The scattered pages of a book by the sea
Held by the sand and washed by the waves
A shadow forms cast by a cloud,
Skimming by as eyes of the past, but the rising tide

Absorbs them effortlessly claiming.

They told of one who tired of all,

Singing, praise him, praise him."
We heed not flatterers, he cried,

"By our command, waters retreat,
Show my power, halt at my feet."
But the curse was lost,

Now cold winds blow.

Far from the north, overcast ranks advance
Fear of the storm accusing with rage and scorn.
The waves surround the sinking throne
Singing "Crown him, crown him."


"Those who love our majesty show themselves!"
All bent their knees.

But he forced a smile even though
His hopes lay dashed where offerings fell.

Nothing can my peace destroy as long as no one smiles.
More opened ears and opened eyes,
And soon they dare to laugh.

See a little man with his face turning red
Though his story's often told you can tell he's dead.



【解説】
まずこの歌詞の背景となりそうる記述があるので、それを見てみたい。

Can-Utility appears to be a word-play on the name of an old King, Canute (also spelled Kanute, or Knut) The Coastliners are his followers who in one version of the story are sycophants needing to be shown the truth, and in the other are the ones exposing the delusions of the king. Peter's lyrics seem to weave elements of both tales into one, leading us from the near future of Get ‘em Out by Friday, to a quasi-mythical timeless area.

「Can-Utility」は9世紀の王Canute(カヌート、クヌート:Kanute、Knutとも書く)言葉遊びとして使われている。「Coastliners」は、その話の一つのバージョンでは彼の家来達のことで、真実を教えて欲しがっているおべっか使いたち、もう一つのバージョンでは王の間違った考えを暴く者たちを指す。ピーターの歌詞は両方の要素を一つに織り込んでいるように見える。そしてわれわれは「Get'em Out by Fridy」の目の前の未来から、準神話的な時間のない場所へと導かれていくのだ。」

「話の一つのバージョン: Canute王は周りの国々のこびへつらいのため、不当な評判を得るようになる。特に彼がほぼ同時期にイングランド王とデンマーク王であったことに、北海 (The North Sea)は怒っていた。この奇妙な断定にうんざりした彼は、王座を浜辺に設置した。上げ潮は避けたが。彼は浜辺に座り、誰がなんと言おうと彼は海の王などではないことをまさに示すために、波に飲み込まれるがままにしていた。 12世紀の記録によると、ハンティンドンのHenryがCanuteに海辺での王座の置き方と、潮に命じて彼の足下やローブを濡らさないようにする方法を伝えた。しかし潮は止まらなかった。Henryによれば、Canuteは後ろへ飛び退き言ったという。『王の持つ力など、いかに空虚で役立たずなものか皆に知らしめてくれ、天、地、そして海が永久不変の法則により従う者でなくては、王を名乗る価値はないのだから。』」
「LyricWiki」『Can-Utility and the Coastliners』Triviaより)

この曲のタイトルが「Can-Utility and the Coastliners」ということは、上記の説明から「カヌート王と家来達」というイメージだろうか。

The North Sea(北海)からの怒りをかっていたカヌート王、浜辺に王座を設置したという異様な行動。吹きさらされた浜辺で、海の風と海の水に、当然のように奪いされていく書物のページ。

第2連に冒頭の「They」が何をさすのか。悩んだ。第1連で複数の単語は「pages」、「waves」、「eyes」の3つ。それ意外に「この話は皆知っているだろうから、いきなりTheyと言って(例えば)彼らを示すことがわかるだろう」というような、暗黙の了解に基づいた何か、あるいは誰か。例えば家来たちとか。

しかしここでは「pages」と解釈した。そうすることで、第1連で突然出てくる一冊の書物、バラバラになっているページが、以下の内容に繋がっていくと思ったからだ。

その書物に書いてあったのが、すべての歌(おべっか)に飽き飽きしていた「カヌート王」についてのことであった。自分の置かれた立場にうんざりしていた王を、周りの者たちは「彼を讃えよ」とおべっかを使う。それに対し王は「おべっか使いなどの言うことは聞かぬ」と突っぱねる。そして自らの王としての力を試すかのように、浜辺の王座で海の水に向って魔法の言葉を使い、足下から去らせようとする。しかしそれは失敗に終わる。

北海からは怒りと嘲笑が続く。上げ潮に沈み行く王座の周りで波たちまでも、「彼に王位を」と、王の嫌いな歌を歌う。

カヌート王は、王としての非難を受ける立場からも逃れ切れず、自らの魔法をも失敗に終わる。家来の失笑がなければ威厳を平和(威厳)を保てると思っていたが、最後には家来たちの嘲笑を受け、その辱めに顔を赤らめてしまうのだ。

最後の連は再び、書物の世界から今に戻ってくる。顔を真っ赤にしている小男。それこそ書物の中のカヌーと王。彼の話が、彼自身もう死んでいると言えるようなものであるということは、彼はその書物の中においてもすでに幽霊なのではないか。そしてかつて王座を置いたこの浜辺を今でもさまよっているのではないだろうか。

というふうに全体を解釈すると、単なる不遇な境遇と不思議な行動を取った王の物語というだけではなく、「Nersary Crimes」に通じる不思議で不気味なジェネシス的世界が広がるように思うのだが、いかがであろうか。

尚、解釈にははぐパン氏より貴重なアドバイスをいただいた。ここに感謝いたします。

2009年5月3日日曜日

「オン・リフレクション」ジェントル・ジャイアント

原題:On Reflection

■「
Free Hand」収録







オン・リクレクション/もう一度考えてみて

私のやり方で私はあなたを利用したの?あなたは私が本当にあなたを侮辱したんだと思うの? さあもう一度よく考えてみて もうたいしたことじゃないけど:
どうしてあなたは私があなたに、他の人以上に私を必要にさせたなんて言えるの?
もう終わってしまったのに、誰が今更そんなことを言えるっていうの:
それは私の行為、私の欲求、だめになってしまうことはきちんと説明したはずよ
異なった生き方をすれば、決して公平っていうわけにはいかないの
あなたが私を見た時、同じようにして、あなたはいつも
私がいつもいつもも同じように
私はあなたを思い出そうとしてると思えたの?:
今でもあなたは留まっている
自分のやり方に縛られて
機会をあらため
合図に目をこらして
どうやって:
あなたは私の中にあなたにとっての理想像を見ることができたの?
さあ:
もう一度考えてみて どうして私があなたのために生き方を変えるべきだったっていうの?
あたり一帯に
私はあなたに好感は持っているけれど、でも結局あなたにウソはつかないって叫ぶわ

それはまさに一つの経験だと思うの
私には才能があるってさんざん聞かされてテーブルにカードを置いたのよ
まだ何か他の方法があるなんて理解もせずに
新しく頼れるものを見つけて そしてやり直して だって私は長くいなくなるべきだったのだから、さあもう一度考えて これはまさに一つの経験なのよ
まもなく痛みも終わる 同時に痛みの意味もなくなる
私はいつもいつも、あなたのことを思い出せるよう努力するわ
振り返ってみて これはあなたのゲームじゃないの もちろん名目上も違うわ
私は良いことだけ憶えておくわ あなたはどうやって私たちが同じ道を歩んでいた年月を忘れることが出来るのかしら:
物事は私の人生を変え、私の人生からあなたの居場所を取り去り、私たちの時間は離れていった:
あたり一帯に


In my way did I use you, do you think I really abused you
On reflection now it doesn't matter:

How can you say I made you need me more than anyone else

Who can say it right now it's finished over:

It's my act, it's my calling, I explained exactly the falling
Different ways of life can never even:
Be the same when you saw me, could you always take me the

same way as I came and went I tried to remember you:

Still you stay

Tied in your way

Changing times

Watching the signs

How:

Could you see in me what you thought about all you want me to be

Now:

On reflection why should have I changed my ways for you

All around all around

Cry my sympathy's with you but I never lied to you all in all


it seems it's just an experience:
Placed my cards on the table told of everything I was able,

Understanding still not anything different:

Find another to lean on, start again for I should have long

gone, on reflection now it's just an experience.

Soon the pain will have ended, together never intended, as I

come and go I'll try to remember you.

Look back it's not your game, together just in name.

I'll remember the good things how can you forget all the years
that we shared in our way:
Things were changing my life, taking your place in my life and

our time drifting away:

All around all around



【解説】
音楽的には、クラシカルな旋律を、ボーカルと楽器が複雑に絡み合いながら絶妙なハーモニーを作り出すという、一見シンプルだけれど非常に高度な作曲能力と演奏能力、そしてボーカルテクニックを要する、極めて高度な曲である。そういう意味ではジェントル・ジャイアント的な美しさと凄さを体験できる曲だと言える。

歌詞の内容を見ると、何年もの間、共に歩んできた相手と別れることを決心した「わたし」が、それを相手に伝えようとする歌である。かなり現実的な内容で、夫婦、あるいは恋人が長年一緒に暮らした後の別れを思わせる、感情や関係のズレが語られる。

疑問文のかたちを取っているが文末に「?」がないとか、おそらく主語は省略されているんだろうという部分は、補って訳した。

さて、この歌詞からは「あなた」と「私」としか二人の関係はわからないので、話者を男性とするか女性とするかで、和訳の言葉遣いも想像される状況も変わってくる。

しかし何となく、この言い分は女性が言いそうな感じがしたのだ。

実際、「侮辱」されたと思いやすいのはプライドにこだわる男性の方が可能性が高い気がする。自分の生き方を相手に押し付けようとするのも男性っぽい。あるいは自分の理想の女性になって欲しいというのも男性的な感じがする。

そういった指摘や非難が含まれているところから、「話者」は女性として訳した。熟年離婚を言い渡すのは女性からが多いと言われるではないですか。そんな年齢での話ではないのだろうけれど、それに似た冷静さと断固とした決意を感じるのだ。一時的な感情で相手を非難しているというのではなく、数年に渡る付き合いの中で生じてしまったお互いの溝が、これ以上もうどうしようもないところまで来てしまったことを、淡々と伝えようとしている感じがする。

曲順としては次に「Free Hand」が続く。「Free Hand」はいかにも男性が言いそうな泣き言めいた内容なのも良い対比になっている。また「Free Hand」の歌詞にも、この「On Reflection」に出てくる「人生(life)」や「ゲーム(game)」と言った言葉が使われている。

実は別れることになった両者の、それぞれの立場から自己主張を曲として並べたんじゃないかと思えるほどだ。少なくとも「On Reflection」の歌詞を聴いた上て、続く「Free Hand」の歌詞を見ると、「Free Hand」単体で見るより、内容に深みを感じることができる。より大人の男女の別れの物語が浮かび上がってくるようだ。

長年連れ添ったために次第に相手を尊重することを忘れていったり、共に歩んできたはずの人生が少しずつ離れ始めてしまうなんて、とても大人の世界だ。ジェントル・ジャイアントは歌詞も深いなぁと実感。


2009年5月1日金曜日

「9フィートのアンダーグラウンド(分裂)」キャラバン


原題:Ninefeet Underground

In The Land Of Grey And Pink
(グレイとピンクの地)収録







地下9フィート(9フィートのアンダーグラウンド)[分裂]

僕の行ける場所はある
そこで僕は風の歌声を聞く

風が歌うのは僕の知っている幸せの歌
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ

僕の内側の深いところで

僕が歌える歌が一つある
一本の木の上のジグソーパズル
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ

昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?
本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる


そして時々僕はワインのことを考える
自由に溢れ出る歌と笑い声のことを
みんないつもおしゃべりをしているんだ
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ

昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?
本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる

君は空気の中にそれを感じることができるかい?
それがどれほどの意味のあることなのかわからないけど
そう考えればあきらめることもできる
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ
そう、すべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ


Ninefeet UndergroundDisassociation

There's a place where I can go
Where I listen to the wind singing
Songs of happiness I know
And it brings it all back again

Somewhere deep inside of me
There's a song that I can sing
Jigsaw puzzles on a tree
And it brings it all back again

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting here who really want to know

And sometimes I think of wine
Songs and laughter flowing free
People talking all the time
And it brings it all back to me

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting now who really have to know

Can't you feel it in the air?
I wonder what it's meant to be
It's the thought that can despair
And it brings it all back to me
Yes it brings it all back to me

【解説】
「association(交際、付き合い、かかわり、つながり)」に「非…」「不…」「無…」など反対の意味にする接頭辞「dis-」を加えた「disassociation」は、「dissociation」と同じ単語として「分裂、分離、解離」などの意味を持つ。

ここでは「僕」が自分のことを話す。「君(you)」は、最終連でたった一回しか出て来ない。「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」だけだ。ただ、この一文があるから、この「僕」の言葉全体が、独り言のようでいて、実は「君」に向けられているのかもしれない、ということがわかる。そこに「君」が実際にいるかどうかすらわからないけれど。

語られるのは、今「僕」がいる場所ではない、もっと幸せに満ちた場所。風が幸せの歌を歌う場所。今「僕」のいる場所でも、「僕」の奥深くにはその歌が残っている。つまりそこは「僕」の故郷か。それも「ワイン」と「歌と笑い声」、そして「おしゃべりばかりしている人々」のいる、田舎のことなのだろう。

そこではみんな天気のことばかり気にしている。本気で。それは農業を営んでいるからということもあるし、それぐらいしか話題のないのんびりした生活だということでもあるだろう。

「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」と「僕」は「君」に聞く。感じられるかどうかがどれほど意味のあることかわからないけど、あきらめるきっかけにはなるということか。

そして何回も繰り返される「And it brings it all back to me / again).」というフレーズ。「それはすべて何も欠けることないそれ自体を再び私にもたらすのだ。」という文だけれど、同じフレーズがそれぞれに別の何かを「it(それ)」として指し示しているのは不自然な感じがするので、「it」は「状況を漠然と指して使われるもの」と解釈し、「ものごとは再びそのままの姿で(自分へ)戻ってくる」と訳した。あるいは「it」を漠然と「故郷(の思い出)」としてもいいかもしれない。

自分の心の拠り所である故郷を思い出し、その素晴らしさを5連目まで綴り、最後の連で、その素晴らしさを「君」がもし感じてくれないとしたら、「あきらめ」がつくんだ、と言う。そう、「僕」は故郷に思いを馳せつつ、「君」への愛が受け入れられないことへの未練を断ち切ろうとしているんじゃないだろうか。その辛い自分を支えるために、のどかな故郷の思い出を振り返っているのではないか。この思いをできることなら「君」と共有したかった。「君」にも見せて上げたかった。

しかし、おそらくそれはかなわないのだ。ここでも前半の歌詞同様に、「君」の気持ちは描かれない。しかし「僕」の思いは叶わなかったのだろう。ただ美しい故郷の思い出だけは、何も変わらず自分の心に戻ってくるのだ。


ちなみにタイトルの「Ninefeet Underground」は、この曲を作ったのが地下9フィートのところにある部屋だったからだそうな。歌詞の内容とは直接関係ない。

でも例えば、地下9フィートの部屋で一人、ある女性へ勝手に愛を告白し、勝手に叶わぬ恋だと思い詰め、故郷を思う「僕」という、言葉のイメージの連鎖は生まれるかもしれない。

この曲の気持ちよさは、そんな現実に向き合わずにいる「僕」が、桃源郷のように美化した故郷の田園風景を夢見ているところだからなのかもしれない。