2010年4月15日木曜日

「ハンバーガー・コンチェルト」フォーカス

原題:Hamburger Concerto

(邦題は「ハ ンバーガー・コンチェルト」)収録






あぁ、普段の日々より一段と美しきクリスマスイヴ
人々の暗闇の中で輝き
祝福され崇拝される光に
ヘロデ大王が耐えることができようか
彼の高慢さはいかなる道理にも耳を傾けない
どれほど大きな音でそれが彼の耳に響いたとしても

彼は無知なる人々を破滅させようとしている
無知なる人々の魂を殺すことによって
町や村で叫び声を上げさせるのだ
ベツレヘムや荒野においても
そしてラケルの魂を目覚めさせる
それは荒野や放牧地をさまよい始める

オランダの演劇作家ヨースト・ファン・デン・フォンデルによる
17世紀の演劇「アムステルのヘイスブレヒト」からの引用


O, Christmas Eve more beautiful than the days
How can Herod bear the light
That blinks in your darkness
And is celebrated and worshipped
His pride listens to no reason
How noisy it sounds to his ears

He tries to destroy the untaught ones
By killing untaught souls
And rises a crying in town and country
In Bethlehem and in the field
And awakes the spirit of Rachel
That starts haunting field and meadow

Excerpt from the 17th century dramatic play
"The Gijsbrecht van Aemstel" by the dutch
playwriter Joost van den Vondel

【メモ】
オランダから登場した驚異のバンド、フォーカ(Focusス)が1974年に発表した「ハンバーガー・コンチェルト(Hamburger Concerto)」から、アルバムタイトル曲の中のパート5「well done(中までよく焼いた)」で歌われるものだ。

しかしアルバムには歌詞が掲載されていない。CD化に際しても歌詞は掲載されていないのではないだろうか。少なくともわたしの持っているCDにはなかった。そこでネットで探してみた。

歌われている歌詞はオランダ語だが、lyrics.timeにオランダ語とその英訳があったので、それを採用して翻訳を試みた。歌詞の最後の小文字部分は注にあたる。ヨースト・ファン・デン・フォンデルはオランダの文学史上最大の詩人、劇作家と言われ、その代表作がこの悲劇「アムステルのヘイスブレヒト」だと言われているとのこと。そこからの引用だということが述べられている。

歌詞は2連からなる。第1連ではクリスマスイヴ、つまりイエス・キリストの生誕への祝福と期待が込められている。それは人々の「暗闇(darkness)」に輝きをもたらす「光(light)」であり、その神聖なる光には「ヘロデ王も耐えることができようか(いや、できないだろう)」と、「ヘロデ王」が登場する。

ヘロデ王(Herod)はその残虐性で有名なユダヤの王(37‐4 B.C.)であり、イエスが誕生した時の支配者のこと。イエス生誕に際し、新たな王の誕生を恐れ、2歳以下の乳幼児を虐殺したとも言われる。このヘロデ王こそが、人々に「暗闇」をもたらした張本人ということだろう。つまりヘロデ王の圧政に苦しむ人々の暗黒の生活に、ついにヘロデ王も無視できない「光」が差す時が来たことに喜びを表しているのである。

第2連は、ヘロデ王に対する非難である。彼のために人々の魂は殺され、苦しみの叫びが町や村、そしてベツレヘムや荒野から上がっていると。ベツレヘム(Bethlehem)はイエスの誕生地と伝えられるパレスチナの古都)。まさに今光が指し始めようとする場所である。

ラケル(Rachel)は旧約聖書に登場するヤコブの妻。ヤコブとともに、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう途上、産気づき男子を産むが、難産で命を落としたとされる。ヘロデ王の圧政で魂を殺され、そこここで民衆があげる嘆きと苦しみの叫びは、イエス・キリストの新約聖書の時代からさらに旧約聖書の時代へとさかのぼり、このベツレヘムの地で命を落としたラケルの亡霊をも目覚めさせるほどなのだということか。

第2連がヘロデ王の圧政と民衆の苦しみを語っているが、それを執拗に語ることで、第1連の冒頭、そのヘロデ王すら耐えられないほどの「光」が並大抵でないこと、そしてその「光」であるイエス・キリストの誕生を心から祝福する気持ちへとつながっている。

さらに言えば、もっと抽象的に「暗黒」から「光」へ、苦しみや叫びから平和へ、新しい転換や覚醒を思わせる瞬間を感じさせる歌詞だとも言える。したがって劇を知らなくても、劇のどのような場面からの引用かわからなくとも、あるいはキリスト教を信じる気持ちがなくても、すべてが「新しい希望の誕生」を思わせる比喩として機能し、聴く人の気持ちを捉えることだろう。

アナログA面最後の曲名が「Birth(誕生)」であり、それに続いてB面すべてを費やした大曲「ハンバーガー・コンチェルト 」が始まる。この歌詞はその6つに分かれたパートの第5番目でタイス・ヴァン・レアーによって歌われる。作曲も彼が行なっている。ここでは彼は宗教音楽のように淡々と歌う。

そしてその歌が終わると、ラストパートが始まる。このラストパートはそれまでの静謐な音空間から一転し、感動的なフィナーレと言えるような内容。最後のシンセサイザー・ソロが圧巻だ。つまりこの歌詞の内容を受けた、「大きな変革」や「新しい希望の誕生」を祝うようなラストパートだと言えよう。 ちなみにラストパートの「One for the Road」は、「旅立ちの前の最後の一杯、お別れのための乾杯」という意味だ。

そう考えると歌の部分に書かれた「well done」は、それまでパートごとに肉の焼き加減を示す言葉が加えられていたから、「中までよく焼いた」と読めるが、同時に「りっぱに行なわれて」というイエス誕生を祝う意味も含ませていると考えることもできるかもしれない。

以上、オランダ語→英語→日本語ということで、さらに原点の流れがわからないまま、引用部分を訳すという作業であったため、誤解や意味の取り違え等がないことを祈りたいと思う。


さて、ここからはちょっとオマケである。同じlirycs.timeに「悪魔の呪文(Hocus Pocus)」の詩が載っていたのでご紹介したい。ちなみに「hocus-pocus」は「奇術師などが使うような、ラテン語まがいの呪文・まじない、あるいは煙にまくような言葉」のこと。

でも「悪魔の呪文」て、「オイロロ、ロイロロ…ロ〜ポッポ〜!」っていうヨーデル・スキャットだけで、歌はないんじゃないの?と思うでしょ。その通りです、ご覧あれ。

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô
poPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô
BoumPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Tatrrrepôtetretrepiecôã-é-é-ô-hã-hén-Hén
Ôi trégueregué-dôi detêro deguedô
A tataro teguereguedaw
Teguereguedêro dêdow Ô-Éhr-Ôhr-Êhr-Êhr-Áhr-Ó
Hé Hã He How

Ãi erêrãi rãrãrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorôm
pomPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rô

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

UaaahuHahaha... Eee hi hi hááá

ヨーデルでのスキャットをそのまま書き取っているというのが素晴らしい!でしょ。残念ながら和訳はしません、て言うか無理です、ãáaの違いなんて表現できませんから。

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