2010年4月25日日曜日

「ザ・リターン・オブ・ザ・ジャイアント・ホグウィード」ジェネシス

原題:The Return of the Giant Hogweed

Nursery Cryme
(邦題は「怪奇骨董音楽箱」)収録







巨大ブタクサの逆襲

身をひるがえして走れ!
ヤツらを止めることなんてできない、
すべての河や運がの周りでヤツらの力は増大している。
ヤツらを踏みつぶせ!
われわれはヤツらを滅ぼさねばならない、
ヤツらはその濃密で邪悪な警告臭を伴って各都市に侵入する。

ヤツらは無敵だ、
ヤツらはわれわれの除草剤による反撃すべてに免疫を持っているようだ。

遠い昔のロシアの丘陵で
ビクトリア時代の探検家が沼地の近くで王家のブタクサを発見した、
彼はそれを手に入れると家へと持ち帰った。
その植物は目覚める、復讐を果たすために。
王家の獣は忘れていなかったのだ。
彼はロンドンへとやって来た、
そしてそのブタクサを王立キュー植物園へ寄贈したのだ。

時間を無駄にするな!
ヤツらは近づいている。
さぁ急ぐんだ、われわれは自らを守り避難場所を見つけねばならない
夜襲をかけろ!
ヤツらの光に反応する毒には太陽が必要なのだ

ヤツらは無敵だ、
ヤツらはわれわれの除草剤による反撃すべてに免疫を持っているようだ。

上流階級の地方の大地主たちは開拓した野生の庭を持った、
そこに彼らは無邪気にも巨大ブタクサを土地一面に植えたのだ。
その植物は目覚める、復讐を果たすために。
王家の獣は忘れていなかったのだ。
まもなくヤツらは逃亡し、種子をまき散らした、
猛攻撃に備え、人類への脅威たらんとして。

巨大ブタクサのダンス

強大なるブタクサの復讐の時が来れり。人間たちはまもなくわれらの怒りを知るだろう。
ブタクサの毛で人間たちを殺せ
ヘラクレウム・マンテガッツイィアーニ

巨大ブタクサは生きている

ー 前進 ー


Turn and run!
Nothing can stop them,
Around every river and canal their power is growing.
Stamp them out!
We must destroy them,
They infiltrate each city with their thick dark warning odour.

They are invincible,
They seem immune to all our herbicidal battering.

Long ago in the Russian hills,
A Victorian explorer found the regal Hogweed by a marsh,
He captured it and brought it home.
Botanical creature stirs, seeking revenge.
Royal beast did not forget.
He came home to London,
And made a present of the Hogweed to the Royal Gardens at Kew.

Waste no time!
They are approaching.
Hurry now, we must protect ourselves and find some shelter
Strike by night!
They are defenceless.
They all need the sun to photosensitize their venom.

Still they're invincible,
Still they're immune to all our herbicidal battering.

Fashionable country gentlemen had some cultivated wild gardens,
In which they innocently planted the Giant Hogweed throughout the land.
Botanical creature stirs, seeking revenge.
Royal beast did not forget.
Soon they escaped, spreading their seed,
Preparing for an onslaught, threatening the human race.

The Dance Of The Giant Hogweed

Mighty Hogweed is avenged.
Human bodies soon will know our anger.
Kill them with your Hogweed hairs
HERACLEUM MANTEGAZZIANI

Giant Hogweed lives

- ADVANCE - 

紫色部分は曲中では歌われない。特に「The Dance Of The Giant Hogweed」は太字なので、この部分で演奏されるインストゥルメンタル・パートのタイトルと考えることもできる。


【メモ】
hogweedとは、ragweed(ブタクサ:花粉熱の原因となることがある)、horseweed(オオブタクサ)cow parsnip(ハナウド)など、キクに似た頭状花をもつ各種の雑草の総称。ちなみにragweedには低品質のマリファナの意味もある。

しかしGiant Hogweedというと、セリ科ハナウド属の多年草のことで、高さ4m、頭の部分は80cmにも及ぶもの(右写真:Wikipediaより)。「バイカルハナウド」と和名を当てている例もあったが、定着した和名はないようなので、一応「巨大ブタクサ」と訳を当てた。
 
この巨大ブタクサは、コーカサス地方から中央アジア原産で、19世紀にイギリスに大量に持ち込まれた観賞用植物の一種。今では川土手沿いに全国的に広まり、その土地にもともとあった植物に取って代わって密集し、この草の汁が肌についてそこに太陽光が当たると、まるで火傷のように皮膚が炎症を起こす“光毒性”も持つ。今では世界的にも問題になっている植物だと言う。

こうして見てみると、歌詞における巨大ブタクサの描写はかなり事実に忠実であることが分かる。

そして「Giant Hogweed(巨大ブタクサ)」などと言われて、ちょっと突然変異的な怪物を連想しそうだが、実際のGiant Hogweedも4mとかなりの大きさであり、国内種を駆逐するほどの繁殖力を持っている点など、そこに“脅威”を感じることには実はそれほど突飛なことではないのだ。もちろん直接動き回って人間に襲いかかるという部分はSF的だけれども。

まさにあちこちの河原で目にする巨大な植物。それはもともとどことなく不気味な植物であるのかもしれない。そこに“復讐”を絡めることで、一曲目の「Musical Box」同様に、ちょっとナーサリー・ライム(マザー・グース)的な、どこかしら気味の悪さが感じられるストーリーになったのではないかと思う。

さらにPeter Gabrielの表現力全開な強烈なボーカルが、この曲をコミカルさと不気味さと不思議さの混ざり合った曲にしている。それと共に、どことなくぎこちない曲展開とバックの多彩な表現が、それに拍車をかけていると言えるだろう。まさにこの「Nursery Cryme」というアルバムにふさわしい一曲。

「The Dance Of the Giant Hogweed」以降は、巨大ブタクサ側からの言葉であろう。「Heracreum Mantegazziani」はGiant Hogweed(巨大ブタクサ)の学名。最後に学名を告げるあたりは、まさに由緒正しきroyal(王家の)植物らしい、締めの言葉である。あるいは人類に対する宣戦布告か。
 
その後のメロトロンが鳴り響く勇壮なエンディングから考えると、最後の「ADVANCE」は「前進」あるいは「侵攻開始」というような意味だろうか。

ちなみに植物が人間を襲うということから、わたしは肉食植物が人間を襲うSF「The Day of Triffids(トリフィドの日/トリフィド時代)」を思い出した。

この小説がイギリスのSF作家ジョン・ウインダムによって書かれたのが1951年、その後1960年にBBCによりラジオドラマ化、1962年に映画化されている。「Nursery Cryme」発表は1971年だから、時期的に聴く人の中でイメージが重なったり、あるいはイメージを補足しただろうことは十分考えられる。

もちろん、それをある程度意図して作られた歌だろうことも。

2010年4月15日木曜日

「ハンバーガー・コンチェルト」フォーカス

原題:Hamburger Concerto

(邦題は「ハ ンバーガー・コンチェルト」)収録






あぁ、普段の日々より一段と美しきクリスマスイヴ
人々の暗闇の中で輝き
祝福され崇拝される光に
ヘロデ大王が耐えることができようか
彼の高慢さはいかなる道理にも耳を傾けない
どれほど大きな音でそれが彼の耳に響いたとしても

彼は無知なる人々を破滅させようとしている
無知なる人々の魂を殺すことによって
町や村で叫び声を上げさせるのだ
ベツレヘムや荒野においても
そしてラケルの魂を目覚めさせる
それは荒野や放牧地をさまよい始める

オランダの演劇作家ヨースト・ファン・デン・フォンデルによる
17世紀の演劇「アムステルのヘイスブレヒト」からの引用


O, Christmas Eve more beautiful than the days
How can Herod bear the light
That blinks in your darkness
And is celebrated and worshipped
His pride listens to no reason
How noisy it sounds to his ears

He tries to destroy the untaught ones
By killing untaught souls
And rises a crying in town and country
In Bethlehem and in the field
And awakes the spirit of Rachel
That starts haunting field and meadow

Excerpt from the 17th century dramatic play
"The Gijsbrecht van Aemstel" by the dutch
playwriter Joost van den Vondel

【メモ】
オランダから登場した驚異のバンド、フォーカ(Focusス)が1974年に発表した「ハンバーガー・コンチェルト(Hamburger Concerto)」から、アルバムタイトル曲の中のパート5「well done(中までよく焼いた)」で歌われるものだ。

しかしアルバムには歌詞が掲載されていない。CD化に際しても歌詞は掲載されていないのではないだろうか。少なくともわたしの持っているCDにはなかった。そこでネットで探してみた。

歌われている歌詞はオランダ語だが、lyrics.timeにオランダ語とその英訳があったので、それを採用して翻訳を試みた。歌詞の最後の小文字部分は注にあたる。ヨースト・ファン・デン・フォンデルはオランダの文学史上最大の詩人、劇作家と言われ、その代表作がこの悲劇「アムステルのヘイスブレヒト」だと言われているとのこと。そこからの引用だということが述べられている。

歌詞は2連からなる。第1連ではクリスマスイヴ、つまりイエス・キリストの生誕への祝福と期待が込められている。それは人々の「暗闇(darkness)」に輝きをもたらす「光(light)」であり、その神聖なる光には「ヘロデ王も耐えることができようか(いや、できないだろう)」と、「ヘロデ王」が登場する。

ヘロデ王(Herod)はその残虐性で有名なユダヤの王(37‐4 B.C.)であり、イエスが誕生した時の支配者のこと。イエス生誕に際し、新たな王の誕生を恐れ、2歳以下の乳幼児を虐殺したとも言われる。このヘロデ王こそが、人々に「暗闇」をもたらした張本人ということだろう。つまりヘロデ王の圧政に苦しむ人々の暗黒の生活に、ついにヘロデ王も無視できない「光」が差す時が来たことに喜びを表しているのである。

第2連は、ヘロデ王に対する非難である。彼のために人々の魂は殺され、苦しみの叫びが町や村、そしてベツレヘムや荒野から上がっていると。ベツレヘム(Bethlehem)はイエスの誕生地と伝えられるパレスチナの古都)。まさに今光が指し始めようとする場所である。

ラケル(Rachel)は旧約聖書に登場するヤコブの妻。ヤコブとともに、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう途上、産気づき男子を産むが、難産で命を落としたとされる。ヘロデ王の圧政で魂を殺され、そこここで民衆があげる嘆きと苦しみの叫びは、イエス・キリストの新約聖書の時代からさらに旧約聖書の時代へとさかのぼり、このベツレヘムの地で命を落としたラケルの亡霊をも目覚めさせるほどなのだということか。

第2連がヘロデ王の圧政と民衆の苦しみを語っているが、それを執拗に語ることで、第1連の冒頭、そのヘロデ王すら耐えられないほどの「光」が並大抵でないこと、そしてその「光」であるイエス・キリストの誕生を心から祝福する気持ちへとつながっている。

さらに言えば、もっと抽象的に「暗黒」から「光」へ、苦しみや叫びから平和へ、新しい転換や覚醒を思わせる瞬間を感じさせる歌詞だとも言える。したがって劇を知らなくても、劇のどのような場面からの引用かわからなくとも、あるいはキリスト教を信じる気持ちがなくても、すべてが「新しい希望の誕生」を思わせる比喩として機能し、聴く人の気持ちを捉えることだろう。

アナログA面最後の曲名が「Birth(誕生)」であり、それに続いてB面すべてを費やした大曲「ハンバーガー・コンチェルト 」が始まる。この歌詞はその6つに分かれたパートの第5番目でタイス・ヴァン・レアーによって歌われる。作曲も彼が行なっている。ここでは彼は宗教音楽のように淡々と歌う。

そしてその歌が終わると、ラストパートが始まる。このラストパートはそれまでの静謐な音空間から一転し、感動的なフィナーレと言えるような内容。最後のシンセサイザー・ソロが圧巻だ。つまりこの歌詞の内容を受けた、「大きな変革」や「新しい希望の誕生」を祝うようなラストパートだと言えよう。 ちなみにラストパートの「One for the Road」は、「旅立ちの前の最後の一杯、お別れのための乾杯」という意味だ。

そう考えると歌の部分に書かれた「well done」は、それまでパートごとに肉の焼き加減を示す言葉が加えられていたから、「中までよく焼いた」と読めるが、同時に「りっぱに行なわれて」というイエス誕生を祝う意味も含ませていると考えることもできるかもしれない。

以上、オランダ語→英語→日本語ということで、さらに原点の流れがわからないまま、引用部分を訳すという作業であったため、誤解や意味の取り違え等がないことを祈りたいと思う。


さて、ここからはちょっとオマケである。同じlirycs.timeに「悪魔の呪文(Hocus Pocus)」の詩が載っていたのでご紹介したい。ちなみに「hocus-pocus」は「奇術師などが使うような、ラテン語まがいの呪文・まじない、あるいは煙にまくような言葉」のこと。

でも「悪魔の呪文」て、「オイロロ、ロイロロ…ロ〜ポッポ〜!」っていうヨーデル・スキャットだけで、歌はないんじゃないの?と思うでしょ。その通りです、ご覧あれ。

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô
poPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô
BoumPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Tatrrrepôtetretrepiecôã-é-é-ô-hã-hén-Hén
Ôi trégueregué-dôi detêro deguedô
A tataro teguereguedaw
Teguereguedêro dêdow Ô-Éhr-Ôhr-Êhr-Êhr-Áhr-Ó
Hé Hã He How

Ãi erêrãi rãrãrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorôm
pomPÔ

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

Ôi orôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi rôrôrôi ohrorô poPÔ
Yôi orôrôi rôrôrôi rô

Aaaah aaah aaah aaah
Uuuh oooh oooh ooooooooh

UaaahuHahaha... Eee hi hi hááá

ヨーデルでのスキャットをそのまま書き取っているというのが素晴らしい!でしょ。残念ながら和訳はしません、て言うか無理です、ãáaの違いなんて表現できませんから。

2010年4月4日日曜日

「アン・インメイツ・ララバイ」ジェントル・ジャイアント

原題:An Inmates Lullaby

(邦題は「イ ン・ア・グラス・ハウス」)収録






入院患者の子守唄

このきれいで心地よい クッション付きの小さな部屋で
昼下がりには横になりながら
僕はここにいる変わった友だちみんなと話ができるんだ
僕は横になるように言われてるんだけどそれは…なぜかはよくわからないんだ
   
庭園に咲く花を食べてみたんだそこには美味しいチューリップがあるから
そして間に合わなくてズボンを濡らしてしまっても気にしないんだ
他に行く場所もなかったし見つけることもできなかったし
  
とっても大きな白い電球をじっと見上げる
その電球は毎日灯っていて夜の間も灯り続けているんだ
僕の間抜けな友だちの声が聞こえる
看護婦さんたちはいつも部屋にカギをかけずっと外で待っているんだ
 
今朝怪我をしてしまったのでお医者さんが僕に注意をし自分の部屋に行かされ僕に悪い子だと言ったんだ
 
誰かが僕が彼はたぶん長い間ここにいることになると思ってるって言っている どうして他の皆は僕の頭がおかしいっって思うんだろう
誰かが僕が彼はたぶん長い間ここにいることになると思ってるって言っている そして僕の頭がおかしいって 
 
このきれいで心地よい小さなクッション付きの部屋で
昼下がりには横になりながら
僕は ここにいる変わった友だちみんなと話ができるんだ
僕は横になるように言われてるんだけどそれは… なぜかはよくわからないんだ
  
  
Lying down here in the afternoon
In my pretty cosy little cushioned room
I can talk to all my funny friends in here
I was told to rest why ... I am not quite clear
 
Eating flowers growing in the garden
where there are tasty tulips and I don't care
If I wet my trousers there was no time
I had nowhere else to go nowhere else I could find.

Staring up at the great big white light.
That shines everyday and shines all through the night
Hearing voices of the silly friends of mine
Always lock the door nurses waiting outside all the time.

Hurt myself this morning, Doctor gave me warning sent me
to my room and told me that I'm bad.

I heard someone saying I think he'll be staying maybe for a
long time, Why does everybody else think that I'm mad
I heard someone saying I think he'll be staying maybe for a
long time and that I'm mad.

Lying down here in the afternoon
In my pretty cosy little cushioned room
I can talk to all my funny friends in here
I was told to rest why ... I am not quite clear.

 
【メモ】
イギリスの超技巧派バンドジェントル・ジャイアントが1973年に発表した5枚目のアルバム「In A Glass House」からの一曲。このアルバムもコンセプトアルバムと言えるもので、Wikipediaには次のように書かれている。

「A complex and determined concept album - named for the aphorism that "people who live in glass houses shouldn't throw stones" - it was the band's most directly psychological effort to date.」

「複雑で明確なコンセプトアルバム - ガラスの家に住む者は石を投げるべきではない<弱みを持つ者は人に文句を言ってはいけない>という格言に由来する - この作品はバンドが現在に至るまで、一番直接的に精神面をテーマとして扱った作品である」

6つの収録曲が精神的弱さを持った一人の人物の精神的・心理的変遷を綴ったものとなっていて、この「An Inmates Lullaby」は2曲目、1曲目の「Runaway(逃亡者)」に続いて、精神的なダメージを負った段階の曲だと言える。

そうしたコンセプトの設定自体も奥の深いものであるが、その中でもこの曲の凄さは際立っているように思える。

タイトルからもわかるように「僕」は入院している。その理由は「僕にはよくわからない」。自分の現状を認識することもままならない状態。「美味しいチューリップ」を食べてしまったり、おもらし(wet my trousers)しても気にしないでいたり、天井の電球がずっと点いていることが気になっていたりというあたりから、「僕」が入院しているのは精神科の隔離病棟であることが想像される。

「cushioned room」というのも「クッションの置かれた部屋」というよりは「壁がクッションのように当たっても怪我をしない部屋」ということではないかと思う。つまり「僕」は時に激しいパニックを起こすのではないだろうか。 だから午後の一時を除いては、一人部屋に残され、その部屋にはカギがかけられ看護婦は常に待機しているのだ。
  
僕はまわりの友だちを「funny(間抜け、ばか)」だと思い、でも周りの皆が僕の頭がおかしいと思っていることは納得できない。「hurt myself(怪我をする)」とか「bad(悪い)」とかいった感覚的・抽象的な言葉はあるが、何がいけなくてなぜ注意されたのかは理解できていないかのようだ。

ちなみに「Hurt myself」であるが、「hurt oneself」で「怪我をする」という慣用句である。しかしここでは文字通り「自分自身を傷つけてしまった」 と解することもできそうである。つまり自傷行為をしてしまったと。だから「悪い子」だと言われたのかもしれない。

文法的におそらく故意に乱していると思われる歌詞。付帯状況を示すような分詞構文でありながら、それだけで終わっている部分(「Eating.../Staring...」など)は、「僕」のうつろな気分や物事に集中できずに視点や関心がどんどん変わってしまう様子を感じさせる。

特に
「I heard someone saying I think he'll be staying maybe for a long time, Why does everybody else think that I'm mad」

とその繰り返しに見える次の行の 
「I heard someone saying I think he'll be staying maybe for a long time and that I'm mad」

は、「僕」が前の行の言葉を繰り返そうとして、中間部分(赤字部分)が思考からごっそり抜け落ち、最後の「that I'm mad」に飛んでしまったかのようで刺激的であるし、それがまた結果的に「I heard someone saying that I'm mad.(誰かが僕の頭がおかしいって言っているのが聴こえる)」とも読めてしまうというというのも実に巧みだ(ただし、実際の歌では全文が繰り返されている)。

また句読点に縛られないで、頭に浮かんだままに文にしているとすれば「I heard someone saying I think he'll be staying maybe for a long time,」の部分は、「誰かが何か言っているのが聴こえる たぶんあいつは長い間ここにいることになるだろうな」と意味を取ることもできそうである。

つぶやくような声がさらにイコライジングされ、意識が半覚醒状態にあるような夢幻的な曲。しかし歌詞は恐ろしいほどに閉ざされた「僕」の状況の描写である。「僕は混乱している」とか「僕は気が触れてしまいそうだ」といった客観的・理性的な意識や視点をまだ持ち合わせた上での叫びとは違う、生々しくも悲しく異様な世界がそこには描かれているのだ。
 
「僕は頭がおかしいと思われ不当に隔離されている」といった強い反発や自己主張もない、淡々とした静かな精神的に壊れた世界。

サウンドに関心が行きがちなジェントル・ジャイアンだが、その歌詞もまた奥が深いことを感じさせる一曲。 

ちなみにこの歌詞を訳しながらダニエル・キーツの「アルジャーノンに花束を」を思い出してしまいました。