2010年5月30日日曜日

「きみは何処に」ウォーリー

原題:Nez Perc'e

Valley Gardens(幻想の谷間収録







ネズパース族

昔はよく考えたものだ
手に入れたものすべてについて
僕らの周りに広がる広大な土地
でも今僕にはとてもよくわかる 彼らがどれほど多くを奪い
手をひるがえすように恩を仇で返したかを

ネズパース族よ
今あなたたちはどこにいるだ
もういなくなってしまったのか?
  
僕らは多くを求めはしなかった
僕らは質素な生活を送っていた
僕らは風のように自由に生きていた
僕らが学ぶことすべては大地に根ざしていた
僕らの生き方は季節が決めていたのだ

ネズパース族よ
今あなたたちはどこにいるだ
もういなくなってしまったのか?

ネズパース族よ
生き方を変えるか
あるいは前に進むかを決める時だ


NEZ PERC'E

I used to think a lot
Of all the things we'd got
The open spaces all around us
But now I see a lot of how they take too much
And turn to bite the hand that feed us
 
Nez Perc'e
Where are you today 
Are you gone?

We did't ask a lot
We lived a simple life
And like the wind my people drifted
And everything we learned related to the earth
The seasons ruled our way of living

Nez Perc'e
Where are you today 
Are you gone?

Nez Perc'e
Time to change your ways
Or move on.
 

【メモ】
フォーク&カントリータッチなシンフォニック・ロックという、独特のサウンドが魅力のイギリスのバンドウォーリー(Wally)のセカンド・アルバムからの一曲。タイトルの「Nez Perc'e」とは、アイダホ州の中部からワシントン州、オレゴン州にわたって住む北米先住民のネズパース族のこと。「Nez Perce」とも書く。

確かにブリティッシュ・バンドでありながら、カントリー風なサウンドやインナースリーヴに描かれたネイティヴ・アメリカンの絵など、古のアメリカへのこだわりを思わせる部分があちこちに感じられるが、バンドやアルバムに対するロマンティックなイメージに反し、ここでは意外とシリアスな問題を扱っている。

歌詞はネズパース族の末裔としてアメリカに生きる者の、複雑な思いが綴られているととらえて良いと思う。第三連が、大地や風と生きていたかつてのネズパース族本来の生活なのだ。金脈が発見されたことで“開拓者”によって住む地を追われ、やがて同化政策という名の下にその文化を捨て去るか、あるいは「インディアン自治区」などと呼ばれる「居留地(reservation)」に住まわされることになる悲しい歴史。その歴史の上に「僕」がいるのだ。自分が得た広大な場所とは、この居留地のことだではないだろうか。

一見広大な空間。しかし小さい頃はよくわからなかったそうした状況も、そこに至る経緯も、今の「僕」には分かっている。 自分たちがどれほど多くのものを彼ら“開拓者”に奪われたか。そして“開拓者”や建国初期のアメリカ人が新大陸で生き延びるのに多大な貢献をしてきたにも関わらず、どれほど酷い仕打ちをされるに至ったか。

「わたし」はネズパース族として、その誇りをもう一度取り戻そうとしている。「ネズパース族よ/今あなたたちははどこにいるのだ/もういなくなってしまったのか?」は、自分の内なるネズパース族の血に問いかけているのだろう。

同じようにして最後の連で、自らにこれからの生き方の選択を迫っている。ネズパーズ族としての生き方を変えるのか、それともそもまま前へ進んでいくのかと。「Time to change your ways」は「(It is)time to change your ways」と取り、「It is time to do(〜する時がきた)」と解した。

「幻想の谷間」という邦題や美しいジャケット、そしてロマンティックでファンタジックなサウンド。しかし美しくきれいな夢の世界だけではない現実的な歌詞がそこにはある。

しかし、さらに言えばここではその「ネズパース族」への思いが、怒りや反抗や批判につながるのではなく、かつて大地や風と生きていた生活へのロマンティックでファンタジックな憧憬となることで、アルバム全体のイメージに違和感なく溶け込んでいるとも言える。

2010年に35年ぶりの3rdアルバムを出したWally。その記念すべき年に、インナースリーヴのインディアンの絵の意味がやっとわかったのだった。

 

2010年5月26日水曜日

「タイム・トゥ・キル/時空の中に」U.K.

原題:Time to Kill

■ 「U.K.」(U.K./「憂国の四士」)収録








タイム・トゥ・キル/時空の中に

またシーツを剥ぎ取るような氷のような寒さだ
戸口には狼
僕はここでのみじめな暮らしをもう一日
耐えることができるだろうか

目を閉じどこか別の場所を想像してみよう
遥かかなた
銀の砂と紺碧のカリブ海

孤独な休暇にうんざりしているんだ
ここから出て行くことなんて決してできないから

この独房へと
水が滴り落ちる音に耳を澄ます
怒り狂え
もしこの生き地獄を耐え抜けたなら

この極寒の刑務所に押し込められ
囚われの身は
僕から正気をも奪っていく
  
ただ時間があるだけ
どこにも行くことはできず
時をやり過ごすだけ
今いる場所にとどまり続けて


Rip the sheets off ice cold again
Wolf at the door
Can I stand
A dog's life here for one day more

Close my eyes imagine somewhere
So far away
Silver sand
And azure Caribbean Sea

Sick of Solitary holidays
Cause I never get away from here

I listen to the water drip down
into the cell
Bun Amok
If I survive this living hell

Holed up in this cold calaboose
CAPTIVITY
Even takes
My lucid thoughts away form me

TIME TO KILL
Going nowhere
KILLING TIME
Staying where there's ...


【メモ】
UKのデビュー作にして、オリジナル・メンバー唯一のスタジオ・アルバム「U.K.」(邦題は「U.K.」または「憂国の四士」)収録の曲「タイム・トゥ・キル(オリジナル邦題は「時空の中で)」である。

LPではB面トップを飾るスリリングなインストゥルメンタル・ナンバー「Alaska(アラスカ)」からそのままなだれ込む曲だ。したがって曲としては別々にタイトルが付けられているが、一続きの組曲のようなまとまったイメージがある。

そこで「Alaska」に続いてどのような内容の歌詞が歌われているのかが興味深いところ。タイトルの「Time to Kill」は「kill time(暇をつぶす、待ち時間を紛らわす)」という表現からきている。訳すとすれば「すべきことのない、ただつぶすだけの時間」という感じか。

歌詞は極寒の地で一人独房のような部屋に囚われている「僕」の嘆きである。それは「Alaska」というアメリカ北西部の州の名、あるいは地名から連想される極寒のイメージに、見事に重なっている。

ここでは「僕」は「孤独」であり「みじめな暮らし」をしており、それがあと一日でも絶え続けることができるかどうかというほどに、追い詰められたような状況にいる。第三連で使われている「holidays(休暇)」という言葉も、ここでは仕事や責務から解放された状態ではなく、するべきことのない状態を示したマイナスイメージを持った言葉だろう。

僕ができることはどこか遠くのカリブ海のような暖かな楽園を夢見ることか、あるいはこの苦しみに耐えぬいたあかつきには、「Run Amok(怒り狂う)」ことを自分に言い聞かせることしかない。

「hole up(押し込める)」された「CAPTIVITY(囚われの身)」であるということは、今の状況が本意ではないだけでなく、無理やりそうさせられていることを示しているが、それが誰の手によるものかは明らかにされない。

むしろここでは、自分を苦しめている敵を探したり原因を究明したり、あるいは状況を変えようとするのではなく、今の気も狂わんばかりの孤独な状況を、半ばあきらめたように受け入れ、耐えぬこうとしているかのようである。

まさにそれこそがこの曲の柱となるところではないかと思う。敵も原因も理由もない、まさに今自分が生きていて感じる孤独。極寒のアラスカで独房に入れられているかのような日々の苦しみ。永遠に続くかもしれない、ただやり過ごすだけの時間を前にした、成すすべのない無力感。その絶望と狂気にギリギリのところで踏みとどまっている「僕」。

主語(主部)を省略した短い言葉を重ね、「僕」が一人内省しているようなシンプルな詞は、内容に比べて力強い演奏によって、深刻さや極限状況的な切迫感が薄められ、むしろ淡々とした、生きていくことそのものの辛さというイメージに近づくような気がする。
 
ちなみに発売当時入手して、受験英語として「kill time」を知っていたわたしは、「『暇つぶし』ってことだよな。プログレっぽくない格好悪いタイトルだな。」と思った覚えがある。そんな、ちょっと恥ずかしい思い出も甦る曲である。

しかし時代は「Run Amok」を夢想することではなく実行することを求めていた。そしてパンクが支持され台頭する。