2010年10月17日日曜日

「フューチャー・デイズ」カン

原題:Future Days / CAN

Future Days収録





君が行なっているすべてのために君がやろうとしていることすべては
君がやろうとしていることすべてなんだ
いつでもそして今夜僕が帰ろうとしている時においても。
君はそのすべてをやるために
人々を排除できると思っているのかい?
僕は今夜戻ろうとしているけど君は去ってしまう
すべての場所へ すべて君の行く場所へと。

僕はただあの部屋が終わる運命にあることを思う
どうすれば彼らの夢ゆえに彼らを賞賛できるかな?
まさかの時に備えてお金を送るんだ
未来の日々のために。
君は僕のためには何も持たない方がいい、
君は年齢を顔に刻み付けた方が良い、
君は借りものの獲物の陰に隠れる
未来の日々のために。
  
君はあのウソを広めている、わかっているよね、
君は意気消沈し愚かなことをして身を滅ぼしている
そうすることが家を壊すことになったんだから。
君は何をしたんだ、夜を解き放ったのかい?
あの壊れた家すべてが
家を壊し尽くすような破壊で
グルグルと巻上がり壁をも破壊し、
そして大風が君の家を壊し、巻き上げ続けたにもかかわらず。

僕はただあの部屋が終わる運命にあることを思う
どうすれば彼らの夢ゆえに彼らを賞賛できるかな?
まさかの時に備えてお金を送るんだ
未来の日々のために。
君は僕のためには何も持たない方がいい、
君は年齢を顔に刻み付けた方が良い、
君は借りものの獲物の陰に隠れる
未来の日々のために。

そして君は夜を失い
君の夢から降りてくる
まさかの時に備えてお金を送るんだ
未来の日々のために。
君は僕のためには何も持たない方がいい、
君は年齢を顔に刻み付けた方が良い、
君は借りものの獲物の陰に隠れる
未来の日々のために。
未来の日々のために。
すべては未来の日々のためにと言われていたんだ
  
僕はただあの部屋が終わる運命にあることを思う
どうすれば彼らの夢ゆえに彼らを賞賛できるかな?
まさかの時に備えてお金を送るんだ
未来の日々のために。
君は僕のためには何も持たない方がいい、
君は年齢を顔に刻み付けた方が良い、
君は借りものの獲物の陰に隠れる
未来の日々のために。
  
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために、
未来の日々のために。


All you're gonna do for all that you do
Is all you're gonna do all
And when I'm coming home tonight.
Do you think you can do
The people away to do it all?
I'm coming home and away you go
To the all and all you go.

I just think that room's to end,
How commend them from their dreams?
Send that money for a rainy day
For the sake of future days.
You better have nothing for me,
You better move year on your face,
You hide behind a borrowed chase
For the sake of future days.

You're spreading that lie, you know that,
You're getting down, breaking your neck,
When doing that was breaking home.
What have you done, free the night?
With all that breaking home
Was breaking that break up home,
Was rolling up, break the wall,
And the tall wind did break your home, roll, roll on.

I just think that room's to end,
How commend them from their dreams?
Send that money for a rainy day
For the sake of future days.
You better have nothing for me,
You better move year on your face,
You hide behind a borrowed chase
For the sake of future days.

And the night you're losing,
Light down from your dreams,
Send the money for a rainy day
For the sake of future days.
You better have nothing for me,
You better move year on your face,
You hide behind a borrowed chase
For the sake of future days,
For the sake of future days,
Said it's all for the sake of future days.

I just think that room's to end,
How commend them from their dreams?
Send that money for a rainy day
For the sake of future days.
You better have nothing for me,
You better move year on your face,
You hide behind a borrowed chase
For the sake of future days.

For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days,
For the sake of future days.
  
※ 手持ちのCDには歌詞が印刷されていないので
LyricWikiの歌詞を採用させていただきました
 
【メモ】
ドイツのバンドCAN(カン)の代表作「Future Days」(1973年)から、そのアルバムタイトル曲である。

ドラムスとパーカッションが奏でる、静かで繊細な反復リズム。ミニマルでもあり、エスニックでもあり、アンビエントでもある、軽やかで心地よい音空間。そこにつぶやくように、ささやくように乗るダモ・鈴木のボーカル。冒頭部分などは音響処理の結果歌詞がよく聴き取れないほどだ。

曲は穏やかに聴く者を包み込み、聞き手は桃源郷のような音世界に漂う。プログレッシヴ・ロックという言葉から思い出される大仰さやテンションの高さとは無縁の世界。かといってエレクトロ・ビートによる電子音楽とも異なる、実はかなり肉感的な世界。

まず大事なのはこの曲のキモはこの浮遊感なのだということだ。落ち着いたサイケデリック、トリップ空間に遊ぶような感覚。ボーカルもその一部と言っていい。だからそこに強いメッセージを読み取ろうとすることには意味がない。むしろ言葉遊びのような、意味を排除するかのような使われ方をしていると言える。声も楽器、あるいはアンビエントの要素の一つといった感じなのだ。

しかしまた完全な言葉遊びではないことも確かである。したがって、全体としてのイメージは追ってみる価値はあるだろう。

この歌詞には「僕」と「君」が出てきて、「僕」が「君」に語りかけるような設定になっている。「君」からの返答はない。すべて「僕」のモノローグとして語られていく。

第1連、言葉遊びのように同じ表現が一つの文章の中に繰り返し出てくるが、内容的には「君」が行なおうとして実際に今行なっていることが、「今夜僕が家へ(つまり君のもとへ)と帰ろうとしている」ことに無関係に、あるいはそれを無視して続けられていると言っている。僕は君に会いに君のもとへと帰ろうとしている。しかし君にとっては「僕」はやるべきことをやるために排除すべき人々の一人なのかもしれない。

だから「僕」が戻ろうとしているのに、「君」は去ろうとしている。自分がしたいことをする場所に向って。ここで二人はすれ違う。「僕」の君への思いに、「君」は応えてくれない。

第2連では「the room's to end(= the room is to end)」(あの部屋が終わってしまう)」と「僕」は思う。これは「僕」が帰ろうと思っていた二人の部屋のことだろうか。つまり二人の関係はもう終わってしまうと言っているのではないか。

ここで「them」(彼ら)、「their dreams」(彼らの夢)という言葉が出てくる。「君」は僕のもとからある種の夢の実現に向って行動している「彼ら」のところへ行ってしまったのだろうか。だとしても「僕」にはその夢を以て彼らを賞賛することはできないのだ。「Send that money for a rainy day / For the sake of future days.」は、その彼らの夢を叶える過程で、彼らから求められた言葉かもしれない。「未来の日々のために、まさかの時のためにお金を送りなさい」と。

そしてもはや「君」が「僕」との関係に意味を見いだせなくなったなら、一層のこと「僕」に対する思いや未練は捨てて欲しいと言う。そして過ぎ行く時間は、自らの顔にその印を刻みつけるだけ良いと言う。そして「君」は「borrowed chase(借りてきた獲物)」の陰に隠れるた。つまり自分自身が捕まらないように、集団という大きな獲物の影に隠れたということだろうか。

第3連では「君」は知っていながらウソをつく。そうすることで自分の身を滅ぼしている。「僕」は「君」に裏切られた。それが二人の「家」を壊すことにもなったんだということか。「君」は「夜」を解き放った。その結果、二人の「家」は竜巻にでもあったように、破壊され、空へと巻き上げられたしまったのだ。「夜」とは悪しき夢、自分勝手な夢の比喩であろうか。

第5連では「君」はその夜を失い、夢から地上へと降りてくる。夢破れて現実を知ることになる。でももう「君」は「彼ら」の中にいる。「僕」のもとへは帰ってこない。そしてまた「未来の日々のために」そこでの生活を続けている。

第5連の最終行「Said it's all for the sake of future days(=(It is) said (that) it's all for the sake of future days)」(すべては未来の日々のために、そう言われていたんだ)が、意味深である。以後何回も繰り返される「For the sake of future days」(未来の日々のために)というフレーズであるが、この一文から察すると、実はこれは否定的に使われているのではないかと思われるのだ。

未来のためにという理想主義に共感し、「君」は「僕」のもとを去り、「彼ら」を選んだのではないか。「僕」から逃げ出し、二人の部屋や家を破壊してしまったのではないか。

非常に心地よいサウンドから、オプティミスティックな世界に浸っている気分になってしまい、「future days(未来の日々)」という言葉にも、プラスなイメージを持ちたくなってしまうが、実はそこには「未来の日々のために」という理想主義的スローガンに魅かれて恋人が去ってしまった「僕」の、大きな悲しみと虚無感が歌われているのではないかと思うのだ。

つまりこの曲は「希望の未来」を歌ったものではなく、「空虚なる『未来のために』という言葉」を歌ったものだということだ。その失われた「僕」の虚無感(nihilizm)や虚脱感が、実は浮遊感としてこの曲に漂っているものの正体なのかもしれない。

右端が日本人ボーカルのダモ鈴木
  
ちなみにバンド名のCANは、「Communism」(共産主義)、「Anarchism」(無政府主義)、「Nihilism」(虚無主義)の頭文字を並べたもの、英語の可能を意味する助動詞「can」、あらゆるアイデアを放り込む缶(can)というような意味を持つと言われている。

  

2010年10月4日月曜日

「ザ・シネマ・ショウ」ジェネシス

原題:The Cinema Show / Genesis

Selling England By The Pound
月影の騎士)収録




 


われらがジュリエットは仕事から帰宅し
朝食の後片付け。
そして素敵な香りを肌にパタパタ
気を引きたい思いを隠そうとして。
ベッドを整えなきゃ
彼女はそう言ったけれど、でもまたお出かけ。
だって彼女が自分のシネマ・ショウに遅れられないでしょ?
シネマ・ショウだよ?
 
ロミオは地下にあるアパートの部屋にカギをかけ、
階段を足早にかけ上がる。
自信にあふれ花柄のネクタイを締めて、
終末だけの億万長者だ。
ベッドを整えなきゃ
今夜彼女と一緒に過ごすぞ、彼は叫ぶ。
チョコレートのビックリプレゼントを用意した彼が失敗するはずないでしょ?
  
過去へ旅立ちテイレシアス翁に会いに行こう、
その老人が生き抜いてきた話に耳を傾けよう。
ワシは北の果てから南の果てまで渡り歩いてきた、そしてもうワシには不思議なことなど何もない。
男だった時には、ワシは海のように荒れ狂い
女だった時には、ワシは大地のように受け入れた。
だが実際は海より大地の方が豊かなんじゃよ。

過去へ旅立ちテイレシアス翁に会いに行こう
その老人が生き抜いてきた話に耳を傾けよう。
ワシは北の果てから南の果てまで渡り歩いてきた、そしてもうワシには不思議なことなど何もない。
男だった時には、ワシは海のように荒れ狂い
女だった時には、ワシは大地のように受け入れた。
だが実際は海より大地の方が豊かなんじゃよ。


Home from work our Juliet
Clears her morning meal.
She dabs her skin with pretty smells
Concealing to appeal.
I will make my bed,
She said, but turned to go.
Can she be late for her cinema show?
Cinema show?

Romeo locks his basement flat,
And scurries up the stair.
With head held high and floral tie,
A weekend millionaire.
I will make my bed
With her tonight, he cries.
Can he fail, armed with his chocolate surprise?

Take a little trip back with Father Tiresias,
Listen to the old one speak of all he has lived through.
I have crossed between the poles, for me there's no mystery.
Once a man, like the sea I raged,
Once a woman, like the earth I gave.
But there is in fact more earth than sea.

Take a little trip back with Father Tiresias,
Listen to the old one speak of all he has lived through.
I have crossed between the poles, for me there's no mystery.
Once a man, like the sea I raged,
Once a woman, like the earth I gave.
But there is in fact more earth than sea.

 
【メモ】
1972年に発表された前作「Foxtrot(フォックストロット)」からライヴアルバムを挟んでちょうど一年後の1973年10月に発表された「Selling England by the Pound(月影の騎士)」からの一曲。ギターアルペジオが美しい前半と、7/8拍子で軽やかなキーボード・ソロが疾走するインスト・パートの後半という展開も見事な、11分にわたる大曲だ。

さっそく歌詞を見てみたい。第1連と第2連では、恐らく恋人同士である男女の、これから会おうとする前のワクワクした様子が描写されている。第1連が女性、第2連が男性についてで、内容的にも形式的にも対になっていると言える。個人にフォーカスした第1連と第2連と対比するように、第3連ではギリシャ神話の神が登場し、より大きな視点から物語が語られる。

物語の“話者”は、第1連を「あぁわれらがジュリエットは、仕事を終えて帰宅すると…」みたいな感じで始める。無声映画の弁士のような、ちょっと芝居がかった感じだ。「Our Juliet」はもちろんシェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」のジュリエットを引き合いに出して、この女性を親しみを込めて呼んだものだ。「Juliet」と言われれば当然互いに愛し合う相手として「Romeo」が想像される。つまり「Juliet」と呼ぶことで、彼女には恋人がいることもすぐに想像される。

「ロミオとジュリエット」は悲劇であるが、ここでは「悲劇」という点はほとんど関係はないように思われる。むしろドラマチックなヒロイン(女性の主人公)であるかのような印象を受け手に与えていることが大切だ。それは2行目の「朝食の後片付けをする」という現実的・庶民的描写と見事に対比される。彼女はこれから、朝ご飯を片付けることもできずに仕事に出ていったリアルな現実の女性から、映画の中のジュリエットのようなドラマチックなヒロインになろうとしているのである。

彼女の心はすでに彼とのデートで一杯である。「conceal(隠す)」という言葉があるのだが「conceal to do」という使い方は普通はされない。そこでここでは「自然と表に出てしまう思いを香りで隠そうとして」という風に取った。 気持ちの高ぶりを抑えようとする様子は、「I will make my bed(ベッドを整えなきゃ)」と口にするところからも感じられる。「but(口ではそう言っているけれども)」彼女は彼に会いに出て行くのである。

さてここで問題になるのが「Can she be late for her cinema show?」をどう解するかである。「Can...?」は「…ということが可能(あり得る)だろうか?いやないだろう」という反語表現と考えられる。つまり「彼女がシネマ・ショウに遅れるなんてことがあり得るだろうか?いやあり得ない。」ということだ。なぜそれはあり得ないのか?

彼女はすでに「Our Juliet」と呼ばれているように、ヒロインになろうとしているのである。つまり彼女が主人公の、映画のようなステキな一時の、彼女は主役なのだ。これから彼女の恋愛物語が始まるのである。それはシネマ・ショウへ一緒に行くことで始まる。だから、そこに主役である彼女が遅れることなんて、あり得ないのだ。あってはならないのだ。

つまり「cinema show」は「彼とデートで行く映画」という意味に加えて、「her cinema show(彼女のシネマ・ショウ)」という表現にも伺えるように「彼女が主役の映画のようにロマンチックな時間」というイメージが重ねられているように思うのだ。

第2連はもう一人の主人公が描写される。すでに彼女を「Our Juliet」と呼んでいるので、彼はいきなり「Romeo」と呼ばれる。「basement flat」(地下にあるアパートの一室)からは、彼が一般庶民であることが伺われる。決して裕福とは言えない。「weekend millionaire(週末だけの億万長者)」として、彼は彼女の物語、あるいは二人の物語の中で、これからヒーロー(男性の主人公)になるのである。

「I will make my bed(ベッドを整えなきゃ)」と、彼も彼女の言葉と同じ言葉を口にする。しかし「for her tonight(今宵こそ彼女とともに)」と続くことで、彼女と初めて夜を共にしようとしている表現なのだということがわかる。彼女ははやる心を抑えるかのように理性の象徴として、彼ははやる心の先に期待しているドラマチックな展開につながるものとして、「ベッドを整える」という表現が使われているのである。

第2連最後も第1連と同じ反語表現だ。「surprise」は「驚かす」という動詞以外に、「ビックリさせるもの/こと」という意味も持つ。「Can he fail, armed with chocolate surprise?(チョコレートのビックリプレゼントを用意している彼が、失敗するなんてことがあるだろうか?そんなことはあり得ない)」ということである。「arm」は武装するという意味だから、「chocolate」はそれほど有効な“武器”であり、そこから二人が微笑ましい程に庶民的であるということが感じられる。ファンタジックなほどに、愛すべき恋人同士な感じなのだ。

ここまで来ると、第1連の彼女は実は今日が彼と結ばれる日、始めて夜を共にする日だという予感を持っているんじゃないかという風に思えてくる。今日は彼とのデートの中でもきっと期待に胸膨らませている特別な日なのである。だからドラマチックでロマンチックな映画の主人公になったような気分なのだ。

第3連ではこうした個々人から視点が変わる。「Take a little trip back with Father Tiresias(ちょっと過去へと旅立ってテイレシアス翁に会いに行こう)」と、ここでも弁士さながらに“話者”が場面転換を促す。そしてテイレシアスの語る話が歌を締めくくる。

Tiresias(テイレシアス/テイレシアース)はギリシャ神話に出てくる盲目の予言者の名前である。ウィキペディアによると

テイレシアースがキュレーネー山中で交尾している蛇を打ったところ、テイレシアースは女性になってしまった。9年間(7年ともいう)女性として暮らした後、再び交尾している蛇を見つけ、これを打つと男性に戻った。あるときゼウスとヘーラーが、男女の性感の差について、ゼウスは女がより快感が大きい、ヘーラーは男の方が大きいとして言い争いとなり、テイレシアースの意見を求めた。テイレシアースは「男を1とすれば、女はその10倍快感が大きい」と答えた。ヘーラーは怒ってテイレシアースの目を見えなくしてしまった。ゼウスはその代償に、テイレシアースに予言の力と長寿を与えたという。

とある。このテイレシアスの物語は、彼の言葉である最後の4行に大きく関係している。

「cross between the poles」というのは「north pole(北極点)」と「south pole(南極点)」の間を横断して回っているということで、世界中をくまなく渡り歩いたということを意味している。だからもう不可思議なことなど存在しないのだと言う。

そして上記のように彼は男性と女性の両方を体験しているのだ。男性であるときは、荒れ狂う海のように相手を翻弄し、女性であるときは、どっしりした大地のように相手を受け入れる。「give」は「与える」だが、上からの目線で「ほどこす」というような感じではなく、「言われるがままに、求められるがままに与える」というところから、「譲歩する、順応する」という意味も持つ。男性が能動的であるのに対して、女性は受動的なのだ。

しかしテイレシアスは最後に、「実際は海よりの大地の方がよりたくさん(more)ある」と言う。一見男性の方が能動的で力強く、奪う側で、女性は受動的で、言われるがままに与える側に見えるが、「実際は、本当のところは(in fact)」そうではなく、女性の方が勝っているのだと。これを「より豊かである」と訳したが、上記のようなsexualな意味も当然連想されるであろう。

「Romio」の期待と意気込みにも関わらず、実際にベッドを共にした時に得られる喜びはJulietの方がはるかに勝ることであろう、と解釈することもできるだろうし、荒れ狂い奪い取ろうとする男性よりも、それに応えて与えようとする女性の包容力の方が偉大なのだとも取れるだろう。さらには「女性が恋愛においては主役なのだ」と捉えることも可能かもしれない。 「Juliet」がいなければ“彼女のシネマショウ”は始まらないのだ。そうしたいろいろな意味合いが詰まった表現だと思われる。

そして、全てを知り尽くした神の視点から、二人の男女を微笑ましく見守っている様子が目に浮かぶ。いやテイレシアスを引き合いに出して、微笑ましく見守っているのは“話者”かもしれない。その思いに共感し、受けてのわたしたちも優しい気持ちになる。

後半のインストゥルメンタル・パートも、コロコロと転がるようなキーボードが印象的なドラマチックで心地よい展開である。そこには悲壮感とか絶望感とかは微塵も感じられない。

辛く退屈な日常から、映画のようなロマンチックな一時を前に心ときめかせる男女を、一編のファンタジーのように描いているのが、この曲なのではないだろうか。

しかしその夢のような世界は、切れ目なく続く最終曲「Aisle of Plenty」の「"I don't belong here" said old Tessa out loud(「私はこんな場所にいる人間じゃないの!」そうテサは叫んだ)」という第一声で現実に引き戻される。そして逆に「The Cinema Show」が夢のようなファンタジーに溢れていることが、強く印象づけられる結果となる。こうして夢から覚めるようにアルバムは終わるのである。いわゆるトータル・コンセプト・アルバムではないけれど、実に見事な構成である。