2011年4月17日日曜日

「イン・ザ・ミスト・オブ・モーニング」ノルダガスト

原題:In the Mist of Mornig
  








「朝もやの中」

朝もやの中
妖精たちが踊り
天使たちが歌う
そしていたいけな赤子が生まれる

とても純真な
愛の子
夜明けの力強い翼に乗って

子どもは成長する
とともに風が吹き始める
人生という川は流れ始める
偽りの海の中へと

ひどく途方にくれ
とても孤独で
氷のかすみに閉じ込められて

信心と誠実さの船に乗り
偽りと苦痛の海の上を
献身的愛情を示す微笑みを顔に浮かべながら
しかし悪魔は交響曲を奏でる

大いなる幻影
大いなる混乱
真実は欺き
信心は泣き叫び
愛の子は
一人残される
(憎しみの世界の中に)


In the mist of mornig
Elves are dancing
Angels are singing
A tender child is born

So pure
A child of love
On the mighty wings of dawn

The child is growing
With the wind blowing
The river of life is flowing
Into the sea of lies

So lost
So alone
Inside the mist of ice

In a boat of faith and honesty
On a sea of lies and misery
With the smiling face of loyalty
The devil plays his symphony

The grand illusion
The grand confusion
Truth is lying
Faith is crying
The child of love
Left alone
(In a world of hate)

【メモ】
ノルウェーのバンドNordagust(ノルダガガスト)の全編に悲壮感漂う衝撃のデビューから、冒頭のアルバムタイトル曲である。この曲もメロトロンを含む壮大なキーボードをバックに、打ちひしがれたようなボーカルと抑えたKing Crimson的な硬質な音色で泣きまくるギターが印象的な曲だ。

バンド名がノルウェーの神話に出てくる神の名前から取ったといわれるくらい、バンドはノルウェーの神話、そしてより広くスカンジナビア半島のフォークロア、そして異教信仰などに影響を受け、サウンド的にもノルウェーの伝統歌謡や民族音楽の影響、さらにはノルウェーの作曲家Edward Grieg(1843-1907)の影響を受けているという。(メンバーインタビューより)。

アルバムは2010年に発売されているが、デモ音源として録音されたのは2001年から2002年にかけてだという。「オリジナルが持っている力が多かれ少なかれ消えてしまうだろう」と考えて、アルバムはオリジナルのまま発売された。

歌詞を見てみよう。アルバムタイトルにもなっている「In the Mist of Mornig(朝もやの中で)」から一般的にイメージされるのは、朝陽が次第に強くなり朝もやを取払い、美しく希望に溢れた1日が始まる瞬間ではないだろうか。

確かに最初の2連はそうしたイメージに沿った内容となっている。朝もやの中、妖精や天使に囲まれて赤子が生まれる。赤子は妖精や天使に守られ祝福されている。この世に生を受けることの喜びを歌っているようだ。

生まれてきたのは純真(so pure)で愛情に満ちた赤子(child of love)であり、夜明けの持つ力強い翼によってこの世に運ばれてきたのだ。2連はすべて1連の「a child of love」を修飾する説明的なものだと取った。

しかし様相は第3連から一変する。赤子もやがて成長する。その時平穏だった彼の世界にも風が吹き始めるのだ。でもまだ不穏さは隠されている。3行目「命の川は流れ始める」までは、様々な経験をこれからしていくことになる人生も流れ始めるのだと思う。しかし4行目、その流れは「Into the sea of lies(偽りの海の中へと続く)」流れなのだ。

「river of life」という表現はイタリアのバンドPFMの曲の英語版でピート・シンフィールドが書いた「人生は川のようなもの」の歌詞を思い出す。それは長い人生の中で喜びや苦しみを経験して、最後に太洋に溶け込んで行くという終着点としての海であった。

しかしここでは人生そのものが「sea of lies(偽りに満ちた海)」という、救いのないものになっている。これこそがNordagustの的世界感だと言える。光から闇へ。無垢の喜びから偽りに満ちた悲しみと苦しみへ。

第4連は第3連の「the child is growing」を修飾していると考える。途方に暮れ孤独で、すでに「朝もや(mist of morning)の中」ではなく「氷の濁り(かすみ)の中に」いるのだ。「inside」を使っているので氷の内部に閉じ込められたようなイメージだろうか。

それでも第5連ではまだ「子ども」は「信心と誠実さ」という小さな世界を大切にしながら、偽りと苦痛に溢れる世界を旅するのだ。希望の微笑みを浮かべながら。この第5連3行目までも「the child」の様子を述べる修飾部分であろう。そして再び最終行で希望は断たれる。「悪魔が交響曲を奏でる」のだ。壮大なる悪魔的世界が繰り広げられるのである。そこであえて「しかし」という接続詞を入れて訳した。

全ては「大いなる幻影(grand illusion)」(これはジャン・ルノワールによる1973年の反戦映画のタイトルとして使われたもの)であるとは、「愛や信心、誠実やといった善なるものは、すべて幻影である」と宣言しているかのようだ。そしてそこにあるのは「grad confusion(大いなる混乱)」である。「愛の子」として生まれながら、成長するにしたがって彼は偽りと憎しみの世界に一人残されるのだ。

最終行の「(in the world of hate)」は()で囲われているように歌としては歌われない。彼の愛には世界は愛で応えてはくれないのだ。世界は愛ではなく憎しみに満ちていたのだ。

この希望も光もない物語。それは現実批判や社会批判と言ったものとは違う、もっと運命的な印象を与える。まるで神話が物語るわれわれ人間の運命のように。だから悲壮感溢れながらも、その理不尽さを嘆くような歌にはなっていない。人が業として背負っている「この世」の悲しみを歌っているかのようだ。

Nordagustの曲が持つ、救いようのない悲壮感や絶望感は、そのドラマチックで薄暗いサウンドとボーカルだけでなく、歌詞にも満ち満ちていた。しかしなぜかそこに魅かれるのだ。

怒りや同情などの感情を排して、淡々と叙事詩がごとく歌われる赤子の運命は、世の中とどう上手く折り合いをつけていたとしても、わたしたち一人一人の心の中に傷ついた赤子がいることを、静かに思い出させてくれるからなのかもしれない。
 
前列3人がアルバム制作時のメンバーで後列3人は新メンバー