2012年3月10日土曜日

「フォー・トゥディ」キャメル

原題:For Today






わたしは英知の真珠を
その男の中に見た
彼が、失いそうになった一日を救った時に。

悲嘆にくれて過去を振り返る時 
わたしがこう言ったことが思い出されるだろ。
一日を決して見捨ててはいけない。
その一日は二度と同じようにはやってこないのだから。

永遠に続くものなど何もないんだ
二度目のチャンスなんてものもない。
一日を決して見捨ててはいけない。
いつも今日この日のために生きるんだ。

I saw a pearl of wisdom
in the spirit of a man
as he saved
the day he lost.

Time will say I told you so
if we look back in regret.
Never give a day away.
It won't return the same again.

Nothing can last
there are no second chances.
Never give a day away.
Always live for today.


【メモ】
Camelのデビュー30周年記念作「A Nod And A Wink」(2002)から、ボーナス・トラックを除いたアルバム収録最終曲である。今のところこのアルバム以後はラティマーが病気治療・療養期間に入っているので、そういう意味では現時点でのCamelのラスト・ソングとも言える。

そしてこの曲は彼らの曲の中ではちょっと異色なのだ。前年2011年9月11日のアメリカ同時多発テロで、旅客機が世界貿易センタービルのツインタワーに突入し炎上、崩壊した。その崩壊前に、ビルの生存者が火災に追われ、ビルから飛び降りるという惨事が続いた。

この曲はそうした人の中の一人の男性を、アンディがテレビで目にしたことから作られた曲なのである。アンディはその男性が最後の決断をしたその気持ちに、この曲で寄り添おうとしている。

歌詞を見てみよう。
第1連では、その男性は飛び降りるという行為で、自らの「失いそうになった一日を救った」のだと言う。そこに人としての英知の輝きを見るのだと。それはどういうことなのだろう?

第2連で「一日一日を諦めるな、同じ一日は二度とやってこない」と「わたし」は主張する。ということは「その男」は「一日を諦めなかった人」なのだ。第3連でも「二度目のチャンスなんてない」「一日を見捨ててはいけない」と、同様な主張がなされる。

彼の行為はどうして「一日を諦めなかった/見捨てなかった」行為になるのだろう?

それはこういうことじゃないかと思うのだ。彼は不可避な力で自分の日常をねじ曲げられた。そして死へと追いやられようとしていた。でも最後の最後に彼は、自らの意志で自らの最後を決めたのである。それが一日を諦めず、一日を見捨てず、自分の一日として過ごすことを示す行為だと、「わたし」には感じられたのではないだろうか。

ビルから飛び降りた男性の決断に思いをはせると、いたたまれない気持ちになるが、そこに人の尊厳を見たことで「わたし(アンディと言ってもいい)」は、彼を讃えようとしているのである。
 
そしてそれをわれわれの人生に当てはめ、より普遍的な「今日のために生きる(その日その日を大切にして生きる)」ことの重要さを伝えるかたちで歌詞が終っているのだ。 どんな過酷な運命にも屈せず、自分に誇りを持って、毎日をその日のために生きること。

さらにこの最後の瞬間まで一日一日を大切に生きようというメッセージは、年老いてきたアンディ自身、あるいはすでに亡き人となってしまった盟友ピーター・バーデンスのことをも思い起こさせる。それは他人へのメッセージであるとともに、きっと自分へのメッセージでもある。読み手・聴き手は、自分の生き方を振り返りつつ、アンディやピーターの人生、さらにはCamelを聴き続けていた自分のこれまでの人生すら考えてしまう。

作られた状況を知ると、短いけれどとても心に響く歌詞である。そしてシンプルなメロディーと叙情的なギター&ハーモニーが深い感動を呼ぶ、Camelのラスト・ソング(あくまで現時点)にふさわしい名曲だ。

 

2012年3月7日水曜日

「キャンドル・オブ・ライフ」ムーディー・ブルース

原題:Candle of Life





隠し切れない何かが
お前は孤独だと物語る
お前自身の奥底に隠れて
それはお前が見るようにとそこにある
確かめてみるんだ
そして命のろうそくをゆっくりと灯すんだ

外側にある何かが
僕らは孤独だと物語る
時間の手の中を
静かにこぼれ落ちながら
それは僕らがわかるようにとそこにある
僕らが進むために必要な愛で
命のろうそくをゆっくりと灯すんだ

だから皆を愛そう
そして友達になろう
皆を愛そう
そして友達になろう

Something you can't hide
Says you're lonely
Hidden deep inside
Of you only
It's there for you to see
Take a look and be
Burn slowly the candle of life

Something there outside
Says we're only
In the hands of time
Falling slowly
It's there for us to know
With love that we can go
Burn slowly the candle of life

So love everybody
And make them your friend
So love everybody
And make them your friend


【メモ】
イギリスのバンド、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)の1969年作「To Our Children's Children's Children」からの曲。このアルバムは全13曲が切れ目なくクロスフェードで繋がり、トータルアルバムとして一番プログレッシヴ・ロックを感じさせる作品。にもかかわらず各曲はポップなメロディーに溢れ、男性的コーラスとマイク・ピンダーの美しいメロトロンが非常に効果的に楽曲に豊かさを加えている、ムーディー・ブルースの個性が結実した傑作アルバムだ。

この名曲「Candle of the Life」も、通奏低音のようにバックで鳴り続ける、エフェクト処理されて音に深みが加わったメロトロンが美しい。メロトロンが繰り返す印象的なメロディーもメランコリックで、マイク・ピンダーの技を味わうことができる。

では歌詞を見てみたい。
全体で3連からなるもので(歌では繰り返しがある)、第1連と第2連が対になっていることがわかる。第1連の「Something you can't hide(隠し切れない何か)」は「Hidden deep inside / Of you only(自分自身の奥底に隠れて)」いるもの、つまり「自分の内側」に潜むものだが、第2連では「Something there outside(外側にある何か)」となっている。

さらに第1連では主語がyou(あなた/あなたがた)であるが、第2連ではwe(わたしたち)と主語が変る。

しかし言っている内容は「孤独である(ことを告げる何かがある)」ということだ。

つまり第1連は人々の様子を第三者の視点(神の視点と言ってもいいかもしれない)から捉えた描写であり、第2連は当事者である人間の視点で描写したものであり、言わんとしていることは同じであると言うことができる。

当事者にとっては「外部」に見えることでも、第三者から見れば「隠し切れない内部」のことがら。どちらにしても、それは心の奥底に隠れ、時間が経っても変化することなく、人々がそれを直視することを待って、存在し続けているのだ。それが何かはわからないけれど、人々は自らが孤独であることを知らされるのである。

つまりそれは人間がその存在において抱えている根源的な不安や孤独を描写しているのではないかと思う。そしてそれを直視せよと第1連も第2連も言っているのだ。その上で、人生という「命のろうそく」をゆっくり灯し続けていこうと。

第3連で「だから皆を愛そう/皆に友達になってもらおう」という部分は、孤独を前提として受け入れた上でのアドバイス/主張のような感じになっているが、実はそれほどインパクトはない。ありきたりの流れ、あるいは安易な結論といった感じすら受ける。

では歌詞として中味が薄いのだろうか?わたしはそうは思わないのだ。むしろそう言うしかない、という悲しさや空しさがここでは醸し出されてはいないだろうか。つまり歌詞全体におけるウエイトはむしろ第1連&第2連にあって、人々が孤独であるという事実や、孤独に向き合い受け入れながら生きて行かなければならないという人間の有り様が、ここで言いたかったことという気がするのだ。

だから第3連は心がけとか理想として述べられているに過ぎず、メロディーも人々を鼓舞するような勇ましいものではなく、とても悲しげで無力感が漂うようなものになっている気がするのである。

そう考えると、安易に答えを提示したわけではなく、むしろどうしようもない人間の悲しき性を描いた歌詞だとみることができる。深みがあって美しいメロトロンの響きが、人間が内包する存在の孤独を悲しんでいるかのようである。

ちなみにムーディー・ブルースはプログレッシヴ・ロック・バンドとしては今ひとつ評価が高くない。時代を考えればコンセプトを立てたり曲構成に凝ってみたりと、かなり斬新な試みを行なっているし、マイク・ピンダーのイフェクトをかけて深遠な音となったメロトロン・サウンドも1970年代のバンドに大きな影響を与えたはずだ。しかしあくまでメロディーを大事にした歌中心だったところが、1960年代のビードバンドっぽい雰囲気を思わせて“古い”感じがしてしまうのだろう。多用されるタンバリンもそれに追い打ちをかけている気がする。

しかし逆に言えば、そこにムーディー・ブルースの個性があるのだ。このサウンドの心地よさと歌詞の奥深さは、のちのプログレバンドにはないものである。もっと評価されるべきバンドである。