2013年4月18日木曜日

「モッキンバード」バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェスト

 原題:Mockingbird

Once Again(1971)収録






雨、海、波、砂、雲そして空

ねぇ君、さぁもう泣くのはお止め
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために

雨、海、波、砂、雲そして空
時が経てば君の涙も枯れ果てることだろう
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネシツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために


雨、海、波、砂、雲そして空

愛の涙が今は消え去ったことに感謝しよう 
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために

 

Rain, sea, surf, sand, clouds and sky
Hush now baby, don't you cry
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Just for you and me

Rain, sea, surf, sand, clouds and sky
Time will see your tears run dry
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Just for you and me

Rain, sea, surf, sand, clouds and sun
Bless the tears of love now gone
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Singing just for me... 


 

【メモ】 
叙情派シンフォニック・ロックとして人気のBarclay James Harvestの1971年作「Once Again」から、その後ライヴでも定番曲となっている「Mockingbird」である。

グレゴリー・ペック主演の1962年のアメリカ映画「アラバマ物語」は原題が「To Kill a Mockingbird」である。原作の小説「To Kill a Mockingbird」はハーパー・リー(Harper Lee)によって書かれ、1961年のフィクション部門でピューリツァー賞を受賞を受賞している。そこには次のような文章がある。

「Mockingbirds don't do one thing but make music for us to enjoy. They don't eat up people's gardens, don't nest in corncribs, they don't do one thing but sing their heart out for us.」

「マネツグミは、音楽を奏でて私たちを楽しませる意外、何もしないのよ。私たちのお庭も食べ荒らさないし、トウモロコシ倉庫に巣作らない。ただわたしたちのために声高らかに歌うだけなのよ。」

「shoot all the blue jays u want...but remember it's a sin to kill a mockingbird,」

アオカケスは好きなだけ撃っていい…でも覚えておくんだ、マネツグミを殺すのは罪なことなんだってね。」

アメリカ南部の街である黒人男性が冤罪を着せられる。弁護士のアティカス・フィンチ(Atticus Finch)がそれを晴らすべく奮闘するのだが、言うまでもなくタイトルのMockingbirdはこの黒人男性を、あるいは“無罪・無垢”というものを象徴していると考えられる。

名前の通りマネシツグミ(mockingbird)は多くの鳥の鳴きマネをして、多彩な鳴き声で聞く人と楽しませてくれると言う。人が困るような悪さもしない。そこから美しい声で鳴く純真な鳥といったイメージが少なからず共有されていると思われる。少なくとも獰猛さや不吉さや不気味さなど、荒々しいイメージや禍々しいイメージはないということを確認しておきたい。

 Mockingbird(マネシツグミ)
 
それでは歌詞を見てみたいと思う。

場所は海辺であろうか。「君」と「僕」の他に人はほとんどいないかのようだ。雨が降る中、二人は静かに寄り添っている。「僕」が「君」に言う。「もう泣くのはお止め。」と。泣いている「君」を「僕」がなだめている様子から、一応「僕」が男性で「君」が女性だと思われる。歌っているBarclay James Harvestも男性バンドだし。

彼女は泣いている。恐らくずっと泣いていたのだろう。 その彼女を慰めるために「マネシツグミが二人のために歌を歌ってくれているよ」と「僕」は言う。歌の美しさや清らかさには、「僕」の優しい気持ちが託されている

そして大切なのは「君と僕のために」という部分。つまり二人を祝福しているかのように。つまりここで「僕」は、二人は今でも恋人同士だと「」に伝えているのである
 
では二人はどういう状況なのか。二人に何が起ったのか。「僕」が再び言う。「時が経てば君の涙も枯れ果てることだろう。」と。これはつまり何らかのトラブルは「君」に原因があることを意味する。「僕」に原因があるなら、こんな無責任な言葉が出てくるはずが無い。時が経って忘れてしまうしか無いと「僕」は言っているのだから。

ではどのようなことが考えられるだろうか。考えられそうなのは「君」の“ちょっとした浮気/一時的な心変わり”ではないかと思う。「君」は今それを悔いて泣いているのだ。

最後に「僕」が言う。「愛の涙が今は消え去ったことに感謝しよう」。「愛の涙」とは、恋愛がらみの辛い出来事(浮気・裏切り)に流す悲しみの涙を言っているように思う。それは「君」が犯した罪であるが、「僕」は「君」がそれを悔いて帰ってきたことで、もうトラブル終ったことを喜ぼうと言っているのだ。つまり「君を許す」と言っているのである。

そして繰り返す。「マネシツグミが歌を歌ってくれているよ君と僕のために」、恋人同士である僕ら二人のために、と。

雨に煙る美しい風景の中で、自らを責めて悲しみに打ちひしがれる女性と、それを許し慰めようとしている男性。その「僕」の苦しくも切ない彼女への思いが、この繰り返しの多いシンプルな歌詞からひしひしと伝わってくる

そしてもちろんバンドとオーケストラが一体となったドラマチックな演奏が、「君」と「僕」それぞれの悲しみを、さらに感動的に描き出している。 

初期のBarclay James Harvestらしい、若々しい朴訥さと一途さを感じさせるシンプルな歌詞が強い印象を残す名曲。ちなみにオーケストレーションは後にThe Enidを結成するRobert John Godfreyである。
  

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